SNSを更新する気が
ぜんぜん起きない
満たされて
充実していくほどに
どんどんいらなくなっていく
無限にあるシーンの断片を
わざわざ切り取って
発信するということに
自分の中で意味が見出せないというか
なんのために
発信するんだろ?
わたしはもともと
人の日常にあまり興味がないんだなあ
と思ったりもする
人「そのもの」にはすごく興味があるのだけど
パーツには興味がないんだよな
ある種の生々しさとか
魂とか哲学とか
どんなに彩ってもわかってしまう
そういうところを見たい
また
そういうところを描いてみたい
そこに表れていることは
ほんの断片にすぎないし
本質でもない
って
気づいてはいたけど
気づきながらもふんわり続けていたことが
ここにきて
あれ?っていうくらい
誤魔化せなくなってきてしまった
外側の反応を得て
満たしたい何かがあったり
すこし背伸びして彩ってみたり
見てほしいだれかがいたり
みんなそうなのだ
みんな認められたいのだ
自分もかつてはそうだったから
そんな姿が
とても痛々しく見えたりする
SNSはいわば
そんな人々の気持ちの集合体だ
だから重たくて疲れる
なだらかな山を登り続けて
だんだんと視界がひらけてくる
すっきり大きな景色が見える
いま
わたしは
世の中になにを表現していくのだろう
と思う
わたしは最近こんなふうに考えている
一枚一枚の写真が
きれいに並ぶように
絵を描くように
世界を作っていくんだ
ひとつひとつ好きなものを集めて
まるで部屋みたいに安心できる
そう思うと
SNSでやりたいことはよくわからなくても
なんだか楽しい気持ちになる
そしてこう思う
自身を満たすための場でありつつ
他者になにかを与えられるような
そういうものを
作っていけないかなあ、と
あら、いらっしゃい
わたしのお部屋にようこそ
どうぞくつろいでいってね
ところでここは
あなたのお部屋に通じる
魔法の扉があるのだけど
覗いてみない?
なんとなくイメージするのは
そんな感じ
自分の世界がみつけられたら
きっと人は
幸せになると思ってる
この春からは
もっと本も読みたいし
映画も観たいし
音楽も聴きたいし
旅もしたい
ピアノも弾きたい
絵も描きたい
やりたいことは
たくさんたくさんあって
もうすぐ立春
わたしのからだは
旧暦のほうが
バランスがよいみたいだ