listen こえびメモ

リスン・デザイン こえびのブログ

日々感じていることをつらつらと書きます。

すてきな女性のはなし

モンバスの帰りみち

バスで隣になった女性とお喋りがはずんで

岡山までご一緒することになった。

(わたしは旅先のこういう出会いがとても好き)

 

ところがなんと、焦って、逆方向の特急に乗ってしまい。

おとぼけなわたしは中四国に住んでいるくせにまったく間違いに気づかず

はっと気づいて降りた駅は、忘れもしない川之江駅愛媛県!)。

 

光っているのは駅舎の明かりだけ、

コオロギの鳴き声しか聞こえない。

 

「キャーごめんなさい> < わたしほんと抜けてるんで」

って、ものすごく申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだけど

「ううん、ちょっとあっけなすぎる思てたんよ、コオロギの声きれいやしええ思い出やわ〜」

なんて(京都のかた)。わーん、やさしい。。

 

あたたかい母性がふわぁっと漂うような方で

ふだん誰にも言わないようなこと、いろいろ、話してしまった。

「なにゆうてんの~、まだ34やん、やっといろんなこと分かってきたとこやん」

「だいじょうぶ、なんとかなるものよ」

「だって、自分の若いころ振り返ったら、偉そうに言われへんし~」

 

 そしてさいごに

「娘には言えへんかもしれへんけど、ほんまにそう思てるのよ」

 って。

 

へぇ。

よその娘には言えても、

じぶんの娘には言えないことがあるんだ。

おもしろいな。

わたしもいつか母になったら解るのかしら?

 

 

この間も、母と同じような年齢の大好きなお客さんに

「長女にはつい、言ってしまうんよ。なんだか自分を重ねちゃって。

ふふ、ごめんね~。お母さんの代わりに、謝っちゃう」

なんて、言われたっけ。

その方も、とてもとても素敵なアドバイスをくれた。

 

 

もしかしたら、うちの母も

ほかの娘さんには、同じように、助言したりするのかもしれない。

そう思うと、なんだかおかしくって。

よそのお母さんから、うちのお母さんを、翻訳してもらったような感じ?

 

 

母とか、娘とかいう役割じゃない

もっと純粋な、母なる存在からのエール、とでも表現すればいいのかしら。

 

 

やりたいことを、遠慮せずに、やりなさいって、

みんなが、教えてくれている。

 

 

夏がいってしまう

夏が来たことを知らないまま

会いたい人に会えないまま

夏がいってしまう

 

記憶の輪郭は

ほとんどぼやけてしまった

こっそり、仕舞い込んでる

いつでも取り出せるところに

 

見つけてほしいけど

こんな恥ずかしい自分は

見つけてほしくない

 

どうしたらいいかわからない

こんな気持ちになったことがないから

 

そうして

あれこれ考えているうちに

夏はいってしまう

たぶん

 

f:id:listen-design:20180808184144j:image

なにも考えずに。

 

夜も遅い時間

こんな時だから

やわらかく、抱き寄せるように

しあわせな、あたたかな記憶を

辿りたいと思った。

 

f:id:listen-design:20180708035343p:image

デザインとは逆のほうの道

何も考えずに筆を動かすなんて

一体、いつぶりなのだろう。

 

思いのまま、手を動かしていると

涙が溢れて止まらなくなった。

絵に描くまえに。

 

気づかないうちに、

心が、いっぱいになってる。

うれしいことも

辛いことも

ここ数日、いろんなことがあった。

 

 

  

不安は、外側からやってくるんじゃなくて

たぶん、内側にあるのだよね。

 

なるべく、どんな状況でも、

穏やかに、強く、いられる人でありたい。

 

 

たいせつな人がいる、真備町、高梁や

全国のたくさんの、辛い状況の方たち

どうか、心安らかな日常が、すこしでも早く訪れますように。

祈ります。

 

 

 

aggregation and beauty

 

薄汚れたビル

バラック屋根の空き家

近くで見ると冴えない景色も

 

向こう岸からながめると、

ひとつの規則性をえがいた

ある種の美しい集合体になる

 

その集合体は、

さらに離れてながめると

ひとつの街になる。

 

その立方体の部屋に、ちいさな灯りがともる

窓のひとつひとつに、人の営みがある。

 

近づいてみる景色

遠くからみる景色

 

 

 

カラフルな点と点が集まって

さながらモザイクのように形をえがく

その点のひとつひとつが

わたしであり

あなたであり

 

この世界のかたちを構成する、

ひとつのピースだということ。

 

ひとつ欠けても成り立たなくて

どんなに役に立たなかったとしても

いなかったことにはできない。

私たちが相互に作用しあっている。

ただ、それだけのこと。

 

この世界に、生きているということ。

あなたがいて、

わたしがいるということ。

 

 

気持ちいい場所は、自分でつくる。

 

方向を決めたら

そのための方法を考えるようになり

足りないものと、いらないものとが

すごい早さで入れ替わっていく。

 

レシートの山を整理して、

通帳とにらめっこして、

お金のことちゃんと直視したら

一瞬、ちょっと落ち込んだ。笑

アチャー。て、かんじ!!

 

机の脇に山積みになってる

無頓着に、なんとなく積み上げてきた時間を

きれいに整えることとか。

そういう、地味なこと。

 

 

目の前に、やるべきことは、たくさん、ある。いつだって。

それとは別で、

 

やらなくたって生きていけるけど

やった方が美しい、気持ちいい。

そういうものがたくさん、見えてきたの。

 

純粋に、もっと理想に近づきたい。

細部を確かめながら、丁寧に作り込んでいくように。

 

ものごとが、

美しく、必然性をもって、ぴたりと収まる。

そういう気持ちいい場所を、つくる。

自分にしかできないやり方で、つくる。

 

わかってしまうのは、自分もそうだから

うれしいときも

かなしいときも

心が溢れそうになったら

家の近くの川べりにくる。

 

忙しく動いているのは好きだ。

なにも考えずにすむから。

 

 

さみしさが、わかってしまうのは

わたしも、おなじものを抱えているから

なのかもしれない。

 

抱きしめてあげたい、という気持ちは

きっと

抱きしめてほしい、という気持ちと、

おなじなんだと思う。

 

f:id:listen-design:20180625031101j:image

 

だれかに頼ったり、頼られたり。

 

学生さんの手を借りながら

なんとか今週の山場を超えられた。

ほんとうに、感謝しかないです。

ありがとう。

 

 

最近あらためて感じているのは、

ひとりで抱え込む以外に、いろんな方法があるんだなってこと。

反射的に、つい「もうちょっと頑張ればやれる」って思ってしまうけど、

その「頑張り」かた、あんまり広がりがないし、豊かじゃないよね。

 

ふつうの生活は、たいせつ。

というか、

むしろ生活こそが、いちばんたいせつ。

わたしはすこし賢くなっています。

 

 

できないときは、できないって、いさぎよく諦めたほうがいいし

困ったときは、だれかに相談したら、解決の糸口が見えるもの。

 

人にお願いするのは、なかなか勇気がいることで、実はすごく苦手なのだけど

ちゃんとヘルプを出せば、みんな意外と、助けてくれる。

 
ひとりでは見られない景色とか

ちょっとしたグルーヴ感が生まれたり

自分の想像を超えてくる感じがする。

 

 

昨日は、友だちが、わたしにヘルプを出してくれた。

残念ながら、あまりにもおなじ状況で、今回はお手伝いできなかったけど

声をかけてくれた、その気持ちが嬉しかったな。

 

彼女が、そこで「信頼」ということばを使ってくれてハッとしたのだけど、

人に頼るってことは、その人を信頼してるってことでもあるんだよね!

 

「信頼」って捉えると

人に頼ることも、頼られることも、

すごく価値のあることなのかもしれないと、思えたのでした。

(これはわたし的にスゴイ発見だったのよ。まゆみちゃんありがとう)

 

 

 f:id:listen-design:20180622014709j:image

 

そうじもたいせつ。

(長らくサボっててごめんなさい)