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リスン・デザイン こえびのブログ

日々感じていることをつらつらと書きます。

20200109今日のダーリン

 

糸井さんのこういうバランス感覚がほんとうに好き。

 

ブランディング、とか、人脈、とか

本質が伴わないものほど滑稽なことはないだろう

じゃあどのあたりが損得勘定50%なのかって

考えるヒントはきっと

「より素直で」「より豊かで」「より広がる」

そのあたりの感覚なんじゃないかなと思ってる

 

見てくれや器用さで取り繕えるようなものなんてくそくらえ

若い人たちにはそのことを声を大にして伝えたい

今世の中にのさばってる声の大きいもの、

やたら視界に入ってくるもの、そんなの本質じゃない

誰かみたいに、キレイにうまいことやろうなんて考えないで

たましいはもっと素直なところに宿っている

 

短いスパンじゃなく、長い目でゆっくりと。

(若い頃はそれができないから、恐怖や不安を感じやすいのだけど)

 

そう、最後はかならず

嘘のないものだけが、残るんだぜ

 

 

・師走に、ぼくは、こんなふうなことを書いた。

 <損得を考えることが、

 人生の50%を超えたらダメだよね>と。

 果たして、じぶんはどうだろうかと、

 あんまり考えることもあえてしないで、そう書いた。

 いまのじぶんが、どうであろうが、

 「損得を考えることが、人生の50%を超えたらだめ」

 なのではないかと思って、率直に書いてしまった。

 

 たとえば、こんなことはないだろうか。

 あなたが「いちごあんみつ」が好きな

 フリーのイラストレーターだとする。

 ひとりでそれを食べたら、ただおいしいだけである。

 損得とはなんの関係もない。

 しかし、お得意先の人と相談をしながら、

 「いちごあんみつ」を食べることになったとする。

 むろん、おいしい。

 そして、お得意先の人も大いによろこんだ。

 そうなると、「交際費」として節税になるのではないか、

 仕事上の関係もうまくいくかもしれないし。

 と、なだらかに「損得」のことが考えられるようになる。

 つまり、ひとりで「いちごあんみつ」を食べていたら、

 それはあなたという「個人」の生きる営みだった。

 そして、交際費で「得をする」と考えたところは、

 「経済人」としてのあなたの活動だとも言える。 

 

 いいのわるいの言ってるわけじゃなくて、

 この「損得」の勘定が、ビジネスの場面では

 100%であることが正しいとされてきた。

 だから、ちょっと目先の利く学生とかが、

 知人関係などをも得をする「人脈」と呼んだりするし、

 個人のブランド化というようなことに熱心になる。

 そういうこと、あってもいいと思うよ、思うさ。

 だけど、やっぱり主体(たましいのある場所)は、

 50%以上は「ただのわたし」でありたいよなぁ、と。

 効率、生産性、利益などの損得についての考えが、

 じぶんの50%を超えてしまったら、

 あとで後悔するような気がするんだよね。

 もちろん、いまの世の中で損得の要素が20%とかでは、

 生きることが困難になっちゃうんだろうけどねー。

 

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。

企業も、損得100%の考えは否定されつつあるんだよね。