listen こえびメモ

リスン・デザイン こえびのブログ

日々感じていることをつらつらと書きます。

listen design の由来のこと

 

 

唐突に思い出したことがある。

 

何故わたしは屋号を「listen」と名づけたのだろう?

わたしにとって「聞く」ことって何だったのだろう?

 その問いに対しての答え。

 

 

すこし前のこと。

自分の仕事をまとめるために諸々思索していたことがきっかけで

実家の父に、小さい頃の写真を送ってほしいとお願いした。

それらを眺めているうちに、思い出したのだった。

 昔、とても静かな世界に住んでいたことを。

 

わたしは幼い頃、侵出性中耳炎という病気にかかり、周囲の音がほとんど聞こえなくなった。

耳に水がたまって音が中に響かなくなる症状で

母は当時の耳鼻科医に怒られたという。

もうすこしでこの子の耳は聞こえなくなるところだった、と。

 

両耳とも手術で大きく切開したものの

小学校に入ってまもなく完治し、いまは普通に聴こえるようになった。音楽もとても好きだ。

 

 

 

 

ただ、静かな世界というのはとても良いものだった。

じっくりと、物語や、絵の世界に浸っていられた。

 

聞こえるようになったときはえらく驚いたものだった。

トイレの水を流す音に心臓が止まりそうになった。

レジ袋の音、テレビの音、電車の音、

「なんて世界はうるさいんだろう」と驚いた。

 

友だちの言っていることが分かると、

おしゃべりができるようになった。

この頃からすこし活発になったのだと母は言う。

 

 

 

 

聞こえないとき、わたしはどんなふうに

世界とコミュニケーションをとっていたのだろう?と、ふと思う。

ひとつの感覚が使えなくなると、

それを補おうと、別の器官が急速に発達することがあるという。

 

いまこの子はなんの話をしているのか

どうして笑っているのか、

聞こえないかわりに、

じっと見つめて、空気の変化を感じ、

全身をそばだてて生きていたのだと思う。

 

 

 

 

きっと

わたしにとって「聞く」ということは、

耳で「聞く」ということを超えた意味を持っていて

 

「聞こえない」ことが、わたしにとって

「聞く」ことそのものだった。

 

これがわたしにとっての原体験であり本質であり

存在意義のような気がしている。

わたしが絵とデザインを生業としている理由でもある。

 

 

 

 

直感的に降りてくるものは

だいたい、そのときは意味が分からないものだけど

それが正解だということだけは分かっている。

5年後に気づくなんて遅すぎやしないかと思わなくもないけど

自分の中でひとつ、整理できてよかった。

 

読んでくれてありがとうございます。

 

 

 

 

いつか、わたしのもうひとつの資質であるナルコレプシーのことや

眠りのこと、夢のことも書こうと思います。

 

 

 

使い古された言い方かもしれないけど

生きていて無駄なことはひとつもないんだな、と思う。

大人になってからすべての出来事に対する答え合わせができている気がする。