コクヨデザインアワード2018の審査会の感想
(ちょっと今日は、めんどくさい感じになっちゃったことを前置き)
ここ数年の受賞作を眺めていると
あきらかに趣向が変化してきている気がする。
「機能性」と「情緒」のはざま。
シンプルに、審査員の哲学が素直に表れているってことなのかもしれないけど
デザインという行為の概念が、より幅広い思想を含んだものへ変わりつつあるんだなと、改めて感じる。
ひと昔前は、「デザインとは問題解決における手段だ」なんてガチガチに言われていたし、
わたしもそう思い込んでいたけど
もはや、そんな狭っ苦しい定義を超えて、
もっと豊かなものを生み出すための、ひとつの思想というか、哲学というか、
そういうふうに広がってきているんだなって、実感した。
ただ単に、文房具をデザインする、じゃなくて
(勝手な主観だけど、少し前なら「スマートなダブルクリップ」がグランプリだった気がするな、とか
このアイデアもシンプルで美しくて素晴らしかった。商品化したらぜったいヒットするだろう)
その文房具をとりまく、感情や、行為や、ストーリーをデザインする。
その膨らみの豊かさのほうに、期待値がある。
世の中全体がそういう方向性に向かいつつあることを考えると、ごく自然な流れだ。
主催のコクヨが、商品化とか、ヒット、いうベクトルだけに支配されていないことも
この自由なアイデアが生まれる礎なんだと思う。
海外からやってきた作品たちの、文化的なバックグラウンドの違うデザイン
言語の違うプレゼンテーションを見られたのもすごく興味深かったし
ライブで行われる講評が、どういった方向性を描いていくのかも、
プレゼンテーションでグッと印象が上がる作品があったり、逆にパワーダウンしたり
コンペという手法をどこまで理解しているかによって、勝敗が分かれるものなんだな、とか
いかに自分が甘っちょろい感覚でアイデアに向き合っていたのかと
とにかく勉強になった> <
最終作品のプレゼンテーションについては
終始、ワクワクが止まらなかった。
好きなアイデアはたっくさんあったのだけど
きりがなさそうなので、割愛。。
ひとつ挙げるとすれば
山崎タクマさんの作品「音色鉛筆で描く世界」が提起しているものが
とてもあたらしくて、やさしくて、豊かで。
ご本人から直接お話を伺うことができたのだけど
ほんとうに純粋な動機を、まっすぐに突き詰めてきたという
そういう誠実さがビリビリと伝わってくるようで、感動してしまった。
なにかの企画やアイデアを考えるときに、
自分の手の届く範囲から生まれた、リアルな感覚から軸をぶらさないということは、たいせつなんだなと思う。
たとえばこのアイデアが、
「福祉」というスタートラインを切っていたら、ぜんぜん違ったものになったかもしれない。
彼の日常のなかでふっとひっかかった「鉛筆が紙の上をすべるときの音」をとっかかりに
音という感覚の意味を問い直し、視覚障害の方へと可能性を広げつつも、
始点となったアイデアを突き詰め続けて、核の部分をぶらさなかった、そのバランス感覚。
すごいのは、はじめの好奇心と情熱を最後まで貫いて昇華させたこと!
アイデアに気づくだけなら、誰だってできるんだもの。
そして、実際に、目の見えない人との対話を通じて、最終的なデザインへと落とし込んだことも、プロダクトとしての説得力につながっているのだと思う。
佐藤オオキさんが、さいごに
審査員をしていてよかったと思わせてくれる
数すくない瞬間だったと、おっしゃっていて
わたしはその意味がすごく、わかる気がした。
自由な発想、あたらしい提案、今までどこにもなかった価値観。その瞬間を目撃できることの醍醐味。
だれかに頼まれたからじゃない
特定のだれかのためでもない
どこかにいるはずの、
自分を含めた、世界のため
その俯瞰した目線
自分というフィルターを通して見た、
自分を含めた、世界に向けて、考え続ける。
その純粋さを思ったとき
デザインという行為の、本質的な、うつくしさを見た気がしたのだ。
世界をすこしだけ、たのしくする
日常をすこしだけ、使いやすくする
それって、とてもデザイナーらしい愛の表現だな。って。