モンバスの帰りみち
バスで隣になった女性とお喋りがはずんで
岡山までご一緒することになった。
(わたしは旅先のこういう出会いがとても好き)
ところがなんと、焦って、逆方向の特急に乗ってしまい。
おとぼけなわたしは中四国に住んでいるくせにまったく間違いに気づかず
はっと気づいて降りた駅は、忘れもしない川之江駅(愛媛県!)。
光っているのは駅舎の明かりだけ、
コオロギの鳴き声しか聞こえない。
「キャーごめんなさい> < わたしほんと抜けてるんで」
って、ものすごく申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだけど
「ううん、ちょっとあっけなすぎる思てたんよ、コオロギの声きれいやしええ思い出やわ〜」
なんて(京都のかた)。わーん、やさしい。。
あたたかい母性がふわぁっと漂うような方で
ふだん誰にも言わないようなこと、いろいろ、話してしまった。
「なにゆうてんの~、まだ34やん、やっといろんなこと分かってきたとこやん」
「だいじょうぶ、なんとかなるものよ」
「だって、自分の若いころ振り返ったら、偉そうに言われへんし~」
そしてさいごに
「娘には言えへんかもしれへんけど、ほんまにそう思てるのよ」
って。
へぇ。
よその娘には言えても、
じぶんの娘には言えないことがあるんだ。
おもしろいな。
わたしもいつか母になったら解るのかしら?
この間も、母と同じような年齢の大好きなお客さんに
「長女にはつい、言ってしまうんよ。なんだか自分を重ねちゃって。
ふふ、ごめんね~。お母さんの代わりに、謝っちゃう」
なんて、言われたっけ。
その方も、とてもとても素敵なアドバイスをくれた。
もしかしたら、うちの母も
ほかの娘さんには、同じように、助言したりするのかもしれない。
そう思うと、なんだかおかしくって。
よそのお母さんから、うちのお母さんを、翻訳してもらったような感じ?
母とか、娘とかいう役割じゃない
もっと純粋な、母なる存在からのエール、とでも表現すればいいのかしら。
やりたいことを、遠慮せずに、やりなさいって、
みんなが、教えてくれている。