listen こえびメモ

リスン・デザイン こえびのブログ

日々感じていることをつらつらと書きます。

170601今日のダーリン

許す。許さない。許されるのか。
そうね、いま、わたしの頭のなかにもその言葉がある。
そして、かなしみ。しばらく感じることのなかった、悲しみという感情。

 

あることばを、ひんぱんに見かけるということは、
 そのことばの意味するものごとが、
 とても意識されているということだ。

 いま空気が汚れている国や地域では、きっと、
 きれいな空気、空気をとりもどせなどというふうに、
 空気ということばがたくさん使われていることだろう。
 日本でも「スモッグ」が問題になっていたときには
 もっと「空気」ということばが使われていたと思える。
 愛とか、絆とか、友情とか、常識とか、
 「それが足りないのではないか」と意識されることで、
 人びとの口の端に上りやすくなる。
 
 ことばというのは、
 そのことばの意味そのものを生きている場面では、
 意識されていないものだ。
 青春まっさかりの人たちは、青春とか言わない。
 それを言っているとしたら、なにやら、
 じぶんのやっていることが青春なのかどうか、
 疑いがあるときなのではないだろうか。
 「ねぇ、愛してる!」「愛してる!」とかも‥‥
 そうねぇ、どうなんだろうね。

 ぼくは、ぜんそくの経験者なものだから、
 「呼吸」というものを意識して過ごす時間があった。
 人はこうして吸うのか、吐くのかと、いちいち、
 意識で身体に命令するようにして呼吸をした。
 ふだん、呼吸なんて考えなくてもできているのに、
 いちいち意識して呼吸するということに、とても疲れた。
 
 世の中に、たくさんの意識されたことばが目立っている。
 ふと、ずいぶんあちこちで見かけるなぁと思ったのが、
 「許す」ということばだった。
 許せない、許す、許した、許せ、許そう‥‥。
 「裁く」ということの、近くにあることばなのだろうか。
 「許す」は、なかなか一筋縄ではいかないことばだ。
 許す許さないの判断は、限りなく主観的なものだから。
 「許さない」を超える方法は、基本的にはありえない。
 「許す」は、無敵のカードみたいなことばなんだよなぁ。
 これが目立って見える時代って、厳しいなと思った。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「許さない」と言われたら、心当たりがなくても怖くない?