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listen こえびメモ

リスン・デザイン こえびのブログ

日々感じていることをつらつらと書きます。

世界はひろい〜わたしと母のこと

授業の1日目は、古賀先生(担任)による「 自分の新しい名刺を作ろう・新しい肩書きを考えよう 」と「自己紹介」から。

すてきな人がたくさんいたな。

帰りぎわに「また来週ね〜!」と言い合える空間があるっていいなって思った。

 

そのあとは、久しぶりにすずなりの長谷川さんにお会いする。

3年前?4年前?からずっとお世話になっているセラピストの方で、わたしはこの人に会ってから人生が加速度的に楽しくなってきた。

小さい頃から抱えていた生きづらさが、30歳を超えてほぼなくなった。いまは景色が明るくてほんとうに幸せである。

長谷川夫妻、ほんとうにありがとうございます。

 

さて、ここにいるということは、さらに深いテーマに向き合う準備ができたということ。

父とのもつれをほどく過程で、仕事への抵抗感がなくなって、気がつけばデザイナーとして独立することになった。あれから2年近く。

母との関係は、だれにとってもいちばん大きくて時間のかかる課題で、今日も、自分で、これ以上は先にいけないな、という壁を感じた。

胸のあたりの怒りと、罪悪感と、無力感みたいな塊が、重くて苦しい。

愛してほしい、でも腹がたつ、許せない、でも好き、頼ってこないで、放っておいて、でも寂しい、助けられなくてごめんなさい、みたいな感じでぐるぐるしている。

それはぜんぶ、愛の変化形なのだそうだ。

ちなみにこれは今の母とは全然関係なくって、わたしが幼いころにイメージしていた、若い頃の母に対しての気持ち。

さいごのほうは眠くなってうまく考えられなくなった。(わたしお得意の)(ナルコレプシー)(現実逃避)

でも、

すこーし、わたしから母へのジャッジは和らいで、お母さんはただのお母さんになった。気がする。

いろんな感情はあるけど、お母さんのどんな部分も、お母さんを構成しているたいせつな要素なんだなって思った。

 

世代が変わるごとに、すこしずつ女性の生き方の選択肢は増えてきていて、だからわたしはお母さんとは違う生き方を選ぶことができた。

おばあちゃんも、お母さんも、きっとひいおばあちゃんも、上の世代を踏襲して、流れに沿って一生懸命生きてきたんだと思う。

どんなに才能があっても、女性は学よりもお嫁さんになったほうが幸せで、結婚したら仕事はやめて家庭に入って、子どもを育てて、夫をサポートすることが幸せなんだって、そういう時代。

その時代には、それしか許されなかったのだと思う。

 

でも、保母さんの仕事が好きだったって、続けたかったって、言ってたな。私たちが大きくなってから何度か、中途採用の枠に応募していたっけ。そのうち、保母さんになることは諦めて、パートを続けることに決めたようだ。それからは、一切、その話はしなくなった。使えない社員のお尻を叩きながら、どんなに優秀な仕事ができる人でも(母はたぶん職場でもかなり優秀)時給は上がらないってぼやいてた。

好きなことを仕事にしているあんたが羨ましいって、言ってたな。

母の悲しみは、その当時の女性の悲しみなんだろうなって、思う。

それはどんなに、悲しくて、悔しいことだっただろう。かなしいね。わたしはこんなに好きなことばかりしていて申し訳ないな。ごめんね。

でもね、そこで勘違いしてはいけないのは、お母さんの人生におけるどのような選択も、お母さん自身が選んで決めて来たことだということ。

だから、わたしが罪悪感を持ってちぢこまってしまっては、いけない。

 

 

そして、わたしの胸に移植されてしまった怒りは、たぶんわたし自身のものじゃないから(自分の怒りはエネルギーにできるけど、他人の怒りはエネルギーにできない)わたしのじゃない気持ちは、お母さんに返そうと思う。

 

でも、1日ではとてもほどけないようなので、ゆっくり向き合っていこうと思う。

 

 

ここでも言葉の話をしたのだけど、

あえて輪郭をつけない豊かさってあるよねって。

短歌、や、詩、のような、限られた文字数で心情をなぞるような表現のすばらしさは

言葉がすくないものほど、読んだ人の解釈の余地というか、余白の部分がたくさんあって、先を想像させる豊かさがあると。

ヘルマンヘッセの言葉も教えていただいた。

「氷山の動きの持つ威厳は、それが水面上に8分の1しか出ていないことによるのだ。」

なんのこっちゃ、て感じだけど

氷山はほとんどが海の中で見えないけども、そういった見えないものが存在していることを我々は(意識せずとも)知っているから、見えるものの尊さや豊かさを感じることができる、ということ、らしい。

 

関係ないかもだけどアナウンサーの古舘伊知郎さんは牢獄の中でも生きていけるかも、と、こないだTVで言ってたな。たしか湊かなえさんとの対談で(この方もそうとうユニークな人だった)牢獄からポツンと見える外の風景を実況しながら、自分のことや考えていることを実況してネタにして客観視する。それをひとりでずっとやっていられる気がするって、言ってた。

 

なんでこの話を書いたのかよくわからないけど。笑

 

 

長谷川さんはドイツでワークショップを受けてからずいぶん変わったとおっしゃってた。

(それこそ言葉を軽く超越しているよね、外国でのワークショップなんて。言葉でのコミュニケーションができない状態でも、心を交換することができるんだ。ほんとに人ってすごいな!)

たしかに会った瞬間から、表情というか佇まいがパッと明るく軽やかな感じになってる。

勉強をつづけているセラピストの方は、こうして自身も常に進化しつづけているんだなーと。すばらしいな!

わたしも、数年前より雰囲気がやわらかくなって深刻さがなくなったと、そんなふうに見えるらしい。あはは。

お互いのよい変化を報告しあいながら、なごやかにこの日は終わりました。

すこし様子をみて、また準備ができたら、会いにいこうと思います。