listen こえびメモ

リスン・デザイン こえびのブログ

日々感じていることをつらつらと書きます。

「俺が連れて行ってやる」

 

わたしの心のなかに

革命家みたいな格好をした

ちいさな男の子が現れて

 


「俺が連れて行ってやる」と

ちいさな胸を張って言うのだ

 

 

 

 


いったいキミは誰なんだい

どこに連れてってくれるんだい

プププ

思わず笑ってしまう

 

「なんだよ俺の言うこと信じられないのかよ」

 


だってあんたなんにも実績ないくせにさあ

「うるせー!俺がそう言ってんだからそーなんだよ」

 

 

 

「とにかくついてこい」

「俺が連れてってやる」

「お前が見たことない景色を見せてやる」

 

 

 

 

へえ
ずいぶんかっこいいこと言ってくれるじゃん

 


当然だろ、と言わんばかりの

堂々としたようすに

うっかり心を動かされるわたし

 

 

 

うむ、根拠のない自信ってやつだね

大言壮語だね

「うるせー!!!俺に従えよ」

「俺を信じろ」

 

 

わたしの手を強引にひっぱっていく

小さくて熱い、彼の手。

 

思わず目を細める、

まっすぐで、頼もしくて

なつかしい気持ちになるよ

 

 

 

 

 


なんて。これはぜんぶ

わたしの自作自演にすぎないのだが笑

どんな茶番?

 

 

 

 


しかしながら

そこまで言うなら

付いてってみようじゃない

 


その大言壮語に負けないくらい

わたしがびっくりするようなものを見せてよ

 


あの時バカにしてごめんねって

あとで謝りたくなるような

そんな景色をよろしく

 

 

 

小さな革命家さんへ

 

 

空っぽになったミットは風通しよく

 

わたしが投げたボールは、

届いただろうか

 

 

 

 

できるだけ真っ直ぐ

やるべきことをやった清々しさで

いまはすっきりとした気持ち

 

 

 

 

今まで挑戦したことがない

むずかしい宿題だったのだ

わたしにとっては

 

花マルをつけよう

きっと、これ以上もこれ以下もない

 

 

 

 

次のターンはそちら側だよ

 

どんな変化球がくるか

ちょっぴり楽しみにしてる

 

 

 

 

 

空っぽになったミットは

手のひらが開放されて

見上げた空はどこまでも青く

走り出したくてたまらなくなった

 

軽やかに動きつづけることが

わたしがわたしで在るための原動力だから

ずっとおなじ場所には居られない

 

 

 

すべてはトライアンドエラー

思い残すことはなにもない

 

 

 

 

 

次のフェーズが

目の前にどこまでも

広がっている

 

 

 

 

 

いまこの瞬間を、抱きしめる

 

 

世界がわたしに染みこむ

 


滲んでいく

広がる

心が染まっていく

 

 

 

 


悲しい気持ちも

うれしい気持ちも

ずっとは続かない

 


すべては変わっていくということだけが

この世界に約束されたルールなら

 


コロコロと変わる

夏のお天気のように

 


どんな感情も

きっと明日には消えてしまう

打ち上げ花火の刹那

 

 

 

 

 

 

来年の夏にはきっと

わたしはこの場所にいないだろう

 
今、この窓から見える空の色も

うまく縮まらない距離も

 

いまここにしかない

たいせつな宝物だから

 

 

 

いまこの瞬間を

抱きしめる

 

このもどかしさごと

せいいっぱい

 

 

 

 

 

 

 

 

心のなかの発光体

 

表現するひとは言葉少なに

溢れたものは

音楽や詩になる

 


すべてを背負って

ひらいていく

明るいほうへ

 

 


ひとつのことだけを

追いかけていく

 


その覚悟と

凄み

 


ほんとうに強いものは

しなやかで

どこまでも優しい

 


そういう力強さを

秘めたひと

 

たくさんの人に

ひかりを与えられるひと

 

 

 

これから先どんなときも

心のなかで光りつづける

その発光体は

わたしの一番星

 


可愛くて

尊い

なによりも

愛おしいもの

 

 

 

美しい色とかたちになったそのひとそのもの

 

ひとは嘘をつくけど
詩はうそをつかない

絵をみればわかる

純粋なこころの色

 

 

ずっと
瞳のきれいなひとだと思っていた
透明度がとても高いというのか
ラムネの瓶の中からとりだしたビー玉みたいな

 

そうそう、
子どもみたいに
純粋で、無邪気で

うそがないひと

 

 

ずいぶん前に
そのひとが描く姿を見た。

息を呑んだ
どこまでも自由で
子どもみたいに純粋で
力強い
しなやかな身体の動き

忙しい合間を縫った
ほんの一瞬だけだったけど
それはとても美しい場面だった

 

 

純粋なエネルギーは予期せず
ひとつの流れを変えてしまうこともある
傷つくこともあるかもしれないけど
動きを止めない強さを携えて

 

 

きっと
わからないひとには
永遠にわからないものなのだ

なにもないところに描きだすということが
どういうことなのか
それがどれほど命がけで行われているかを

すべての状況を、過程を
まるごと信頼して任せる
それが、表現に対しての誠実さだと
わたしは思う

 

 

とても素直に言ってしまえば
え、なにこのひと、と思ったこともあるのだけど
やっぱり本質的にきれいな人は
どこまでいってもきれいだから
嫌いだと思うことの方が難しい
そんなのずるいよと思うけど
人たらしってのはそういうこと

 

尊い
あこがれる
嫉妬なんてはるか遠くに越えてしまうくらい

わたしはこういう純粋な人が
本質的に
とても好きなのだ

 

 

画集を買った

絵はほんとうのことしかいわない
詩はうそをつかない

いろんな気持ちが伝わってきて
すこし苦しくなった


どうしたらいいのだろうと思った
なにかできることがあるとすれば
しっかり向き合って感じることだと思った

 

わたしのなかにも同じものがある
きっと
奥の方をどこまでも辿っていけば
おなじひかりと鮮やかさと痛みがある

その強烈な感情は
どんなに苦しかったとしても
わたしを構成している大切な一部であり
とても愛おしく尊いものだ

 

 

さわったらドクドクと波打ちそうな
エネルギーのかたまり
じっと感じてみる
美しい色とかたちになった
そのひとそのものを感じてみる

 

 

おいしい気持ちを思い浮かべる

 

 

そんなにまっすぐなものを

今まで受け取ったことがないから

どうしたらいいか、わからなかった。

 

 

 

 

いちばん食べたかったケーキが

今ここにあるのに

目をぎゅっと閉じて、見ないようにしている

自分にはとてもじゃないけど

ふさわしくない気がして

 

感じたままに、くちに運んで

わぁ美味しい!って、

それだけでいいのに

このいたたまれなさは一体、どうしたことだろう。

 

わたしの中に小さなわたしがいる

口をきゅっと結んで

そんなものはちっとも欲しくないと

溢れ出しそうな感情を

必死で抑えている

  

どこで諦めてしまったのか知らないが

いちばん欲しいものを素直に受け取れないのだとしたら

 

それはとても

とても

悲しい

 

 

 

そんなふうにしかできなくて

ごめんね

ケーキがかわいそうだね

もっと素直なひとのところに

行けたらよかったね

 

なんてまたほら

思ってもいないことがすべり落ちそうになる

 

 

 

自信のなさが

気づかないうちに誰かを傷つけて

自分の感情に溺れている間に

たいせつなひとの顔が見えなくなる。

 

もうそんなのは嫌だなあ。

 

 

 

もっと、強くあれますように。

 

ほんとうに感じていることを

感じられるようになりたい

ほんとうに言いたいことを

言えるようになりたい

絡まった気持ちをひとつずつほどいていけば

最後にはきれいなものが残るはずだから

 

 

 

今はまだ

まぶしすぎて

じょうずに受け取れない

 

なくなるのが怖くて

おいしく食べられない

 

だけど

どんなにたいせつに保管したって

おいしいものはいつか腐っていく

 

なくなることを考えるんじゃなくて

おいしい気持ちを思い浮かべる

 

くちいっぱいに頬張って

おいしかった!って、言えたら

そんな瞬間がたくさんあれば

その気持ちがきっと

きっと

つぎの瞬間をまた

呼んできてくれる

 

 

そういう物語を、信じること。

 

 

 

 

 

 

 

listen design の由来のこと

 

 

唐突に思い出したことがある。

 

何故わたしは屋号を「listen」と名づけたのだろう?

わたしにとって「聞く」ことって何だったのだろう?

 その問いに対しての答え。

 

 

すこし前のこと。

自分の仕事をまとめるために諸々思索していたことがきっかけで

実家の父に、小さい頃の写真を送ってほしいとお願いした。

それらを眺めているうちに、思い出したのだった。

 昔、とても静かな世界に住んでいたことを。

 

わたしは幼い頃、侵出性中耳炎という病気にかかり、周囲の音がほとんど聞こえなくなった。

耳に水がたまって音が中に響かなくなる症状で

母は当時の耳鼻科医に怒られたという。

もうすこしでこの子の耳は聞こえなくなるところだった、と。

 

両耳とも手術で大きく切開したものの

小学校に入ってまもなく完治し、いまは普通に聴こえるようになった。音楽もとても好きだ。

 

 

 

 

ただ、静かな世界というのはとても良いものだった。

じっくりと、物語や、絵の世界に浸っていられた。

 

聞こえるようになったときはえらく驚いたものだった。

トイレの水を流す音に心臓が止まりそうになった。

レジ袋の音、テレビの音、電車の音、

「なんて世界はうるさいんだろう」と驚いた。

 

友だちの言っていることが分かると、

おしゃべりができるようになった。

この頃からすこし活発になったのだと母は言う。

 

 

 

 

聞こえないとき、わたしはどんなふうに

世界とコミュニケーションをとっていたのだろう?と、ふと思う。

ひとつの感覚が使えなくなると、

それを補おうと、別の器官が急速に発達することがあるという。

 

いまこの子はなんの話をしているのか

どうして笑っているのか、

聞こえないかわりに、

じっと見つめて、空気の変化を感じ、

全身をそばだてて生きていたのだと思う。

 

 

 

 

きっと

わたしにとって「聞く」ということは、

耳で「聞く」ということを超えた意味を持っていて

 

「聞こえない」ことが、わたしにとって

「聞く」ことそのものだった。

 

これがわたしにとっての原体験であり本質であり

存在意義のような気がしている。

わたしが絵とデザインを生業としている理由でもある。

 

 

 

 

直感的に降りてくるものは

だいたい、そのときは意味が分からないものだけど

それが正解だということだけは分かっている。

5年後に気づくなんて遅すぎやしないかと思わなくもないけど

自分の中でひとつ、整理できてよかった。

 

読んでくれてありがとうございます。

 

 

 

 

いつか、わたしのもうひとつの資質であるナルコレプシーのことや

眠りのこと、夢のことも書こうと思います。

 

 

 

使い古された言い方かもしれないけど

生きていて無駄なことはひとつもないんだな、と思う。

大人になってからすべての出来事に対する答え合わせができている気がする。