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リスン・デザイン こえびのブログ

日々感じていることをつらつらと書きます。

すてきな女性に会ったはなしトクベツ編【みれいさんに会えた!】

憧れの、服部みれいさんに会えた。

 

どんな方なんだろう、と、ドキドキしていたのだけど

のびのびと自由で、ものすごく自然体で、

思ってたとおりの可愛いひとだった。

 

ご本人を目の前にすると、いろんな思いがこみ上げて、泣いてしまった。

きっとそんな女子には慣れっこだろうけども、みれいさんは本の表紙にハートをたくさん描いてくれて。嬉しかったな〜。

このピンクのは、わたしがとても好きな号です。

(誰かに貸してどこかに行ってしまったのでもう一冊買った。笑)

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 矢印はもともとあったものです!気持ち的にはこうゆう感じでしたが。笑

 

わたしがはじめてマーマーマガジンと出会ったのは、

忘れもしない、まだ東日本大震災の影響が濃厚だったころの、蔦屋代官山。

 

思うに、

いちばん、生きてる実感が薄くて、

フワフワと不安定な時期だった。 

 

いろんなことに対しての感覚が鈍くなっていて、

自分が嫌いで、自分が信用できなくて

好きだったはずの本や映画にも興味が持てず

いつも薄い膜を通して世界を眺めているような、

人ごとのような感覚で生きていた気がする。

 

 

ふと、

タムくんのかわいい絵柄に惹かれて、手にとったのが、それだった。

 アリシア・ベイ・ローレルの懐かしい名前と、

かわいくてセンスのいい2色刷りの誌面。はじめて聞く「冷えとり」ということば。

 

 

すごく喉が渇いている人が水を飲むときみたいに

みれいさんのやさしい文章が、

すうっと、心に染みこんでいった。

すごい勢いで、むさぼるように読んだのを覚えている。

そういう肯定的な何かを、心の底から、渇望していたから。

 

 

今までのやり方じゃもう、心がもたない。

もう、この考え方じゃ通用しないんだ

でも、ほかにどんなやり方があるのかわからない。

 

マーマーマガジンは、「自分を大切にする」ということの意味を教えてくれた。

自分と向き合うこと、自分を慈しむこと、

ひとつひとつ、丁寧に、やりかたを教えてくれたのだと思う。

 

 

 

それから少しずつ、冷えとりと、半身浴をはじめて

(岡山にはのんちゃん先生もいて、ほんとうに心強かった^^)

ほかにもいろんな心のアプローチを試みて

からだもこころも、だんだんと元気になっていった。

真冬でも指先まであたたかく、自然体でいられて、

心だって、ちょっとやそっとじゃ、へこたれなくなった。

 

瞑想とか、新月アファメーションとか、ホ・オポノポノとか、前世とか

目に見えない世界のことを教えてくれたのも、そう。

ここまで来るのに、6年近くかかってるけど、

わたしは今が、今まで生きてきた中で一番幸せだなぁと思う。

 

まわりに左右されなくなってきたこともそうだし、

どんなことが起きてもきっと大丈夫だと、

自分の生きる力を信頼できているからだと思う。

 

 

そういう経緯があるものだから、

わたしにとって、みれいさんの存在は、すごく特別。

 

今、自然に世の中に浸透してきている

スピリチュアルとか自己の内面を探るアプローチついてのあれこれを

妙なもの、ではなく

ごく自然体に、おしゃれに、広く浸透させてきたのは、

みれいさんや、マーマーマガジンがあったからだと思う。

 

いま高松にいる!ってインスタを見て、何も考えずに飛び出したけど、お会いできてほんとうによかった。

帰り道、うれしくてたまらない気持ちで、おうどんを食べて帰った。 

 

 

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今年の夏は、ショートパンツに素足で過ごすことも多かったので

(それはそれで自分が決めてることなのでOKなのだけど)

今年は、初心に戻ったつもりで、しっかり調子を整えようと思う。

   

アウトプットの快感

今日パッと浮かんだことば

アウトプットの快感。

 

 

入ってくる量が多すぎるから

疲れてしまうのであって

同じくらい、アウトプットできたら

それはすごく代謝のいい生き方なんじゃないか。

 

受け取る→表現する

が、毎日、自然にできたら、とてもいい。快腸。

 

とにかくわたしは、ちゃんと、

自分に課したハードルをクリアして

コンペに出せたことが嬉しいんじゃーー

 

若いころは、なぜあんなに、完璧にしようとしてたんだろう。

見せてみなきゃ、評価なんて、わからないのに。

並べてみなきゃ、だれにも、届かないのに。

 

結果はもはや、どうでもよくて、

カタチにできたことがとても嬉しい^^

いっぱい考えたことが全部、表現できて

自分のなかが空っぽになって、すごくスッキリした感じがする。

あーーー、アウトプットって、気持ちいいな。

まだまだ、やりたいことたくさんあるから、頑張ろう。

 

 

はい。

今日は、それだけ。笑

 

 

 

 

あたまの中のアイデアを

このところ、半年くらい考え続けてきたアイデア

どう形にしていくかでで頭がいっぱい。

 コトコト、いい感じに、煮詰まってきたところ。

 

すこしの刺激で、

すぐに頭がいっぱいになってしまう性質なので

なるべく気を逸らさないように、

それでも、火種を絶やさないように、

自分の気持ちを集中させ続けることに、集中する。

 

朝、目を覚ますたびに、

お風呂に浸かるたびに、

ちょっと取り出して、今日の角度で眺めて、

昨日までの自分の考えを確かめる。

ときどき、味見するみたいに

ここまでの軌道が正しいかどうかを、確認する。

 

頭が沸騰するくらい考えて、

深夜2時、まるで自分が天才のように思えて、

翌朝、自分がとてつもないバカだと思えて、

がっかりして、

それでも、考え続ける。笑

 

考えることさえ、辞めなければ、

忘れたころに、ふっと降りてくる。

ブラッシュアップ、軌道修正、その繰り返し。

 

こういう作業が、とても好き。

答えのないことのいろんな可能性や

裏側の裏側を探っていく楽しさとか、

あるいは、深いところへ、どこまでも、潜っていく感じも。 

 

締め切りまで、あと、数日。

なるべく、感覚を研ぎ澄ませて、密度を詰めていきたい。

すてきな女性のはなしの続き

ほんとはなにも、続いてないんだけど

わたしのなかで、つながったこと。

 

詳細は省くのだけど

とある、お世話になっている方が、とつぜん訪ねてきて

「こえびちゃん、、、こんな状況でとても困っているのだけど、

わかる範囲でいいから、相談にのってくれないかな」

 

わたしはどちらの気持ちも知っている唯一の人で

だからこそ、お互いに抱いているちょっとした行き違いが、もったいなく思えて、でも、なるべく余計なことを言うべきではないと思っていた。

 

目の前にいるその人は

とても思い悩んでいるようだったけども

コミュニケーションエラーが起きたその彼女のことを

心から、たいせつに思っていことだけは、明確に伝わってきた。

一生懸命な瞳を見ていると、

無関係なわたしが、泣いてしまいそうになるくらい、

言葉のひとつひとつ、まなざしのひとつひとつに、

ただひたすら、愛がこもっていたの。

純粋に、他人を思う気持ち。

 

合う人と、合わない人がいるのは、しょうがないことだと思ってる。

好かれたひとを、好きになれるとは限らないのは恋愛とおなじ。

それに、親でもない人から

そういった類の愛を向けられることで

戸惑いが生まれるのも、しかたのないこと。

 

若い彼女には、さぞ、重いものだろうし

自分が同じだけのものを返せないことが、苦しかったのかもしれない。

 

わたしはおとなだから、もうぜんぶ、わかる。

言うなれば

あんた、気づいてへんけど、

ものすご大事にされてるみたいよ。てこと。

まだわからんかもしれんけど、

それってじつは、

ものすごい貴重なことなんやで。

てことよ。

 

かつてのわたしが、真っ直ぐに受け取れなかったものの正体、ここに見たり、という感じがして、

同じように今まで向き合ってくれた沢山の大人の人の顔とかが浮かんで(鬱陶しくて大嫌いだった人もいたな)、同時に不義理な自分も思い出して

ブワッと、込み上げてくるものがあった。

 

これはね、わたしが、愛情を送るほうに近づいてきた、今だからやっと、わかったこと。

ひとまわり下の学生さんと接するときの気持ちに似てる。

 

 

目の前の女性から、

自分を通して受け取った

そのあたたかい感覚を

彼女のところまで、まっすぐ、

誤解なく、

まるごと転送してあげたいな〜

 

数年後、自分が受けとっていた愛の大きさを知るときが来たら

きっと泣くだろうな。

 

愛って、時間がかかるもんなのね、

何年も経ってからやっと、伝わったり、なんか時間差がすごいね。

そう思うと、ちょっと切ない。

 

だけど、もらったものは、ずっと、憶えているよね。

 

これも、すてきな女性から教えてもらった、すてきな愛のはなし。

 

 

ラスト・ワルツ

 

ザ・バンドのドキュメンタリー「ラスト・ワルツ」。

 

ものすごくいい映画だった。

 

音を奏でる喜び

その光が

スクリーンいっぱいに迫ってくる。

 

うちの記憶のなかでは、ほとんどのスターはすでに、おじさんで、

当たり前だけど、昔はおじさんじゃなかった。

若っっか〜〜い

顔もシュッとしてるし、肌がつやつやで、声もぜんぜんちがう。

 

ほとんど、聴いたことある曲、でも映像でみるまで、ザ・バンドがあんなに全員で歌うバンドだなんて知らなかった。

ジョニ・ミッチェルが、凛としていてとても素敵で

ボブディランは、お洒落すぎてしばらく分かんなかった!

 

この時にしかないステージの空気

人々の幸福感、一瞬のきらめきを、

最高のかたちで切り取っている。

インタビューしているのは、監督自ら?

 

表現することは、

生きる力そのもの。

 

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すてきな女性のはなし

モンバスの帰りみち

バスで隣になった女性とお喋りがはずんで

岡山までご一緒することになった。

(わたしは旅先のこういう出会いがとても好き)

 

ところがなんと、焦って、逆方向の特急に乗ってしまい。

おとぼけなわたしは中四国に住んでいるくせにまったく間違いに気づかず

はっと気づいて降りた駅は、忘れもしない川之江駅愛媛県!)。

 

光っているのは駅舎の明かりだけ、

コオロギの鳴き声しか聞こえない。

 

「キャーごめんなさい> < わたしほんと抜けてるんで」

って、ものすごく申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだけど

「ううん、ちょっとあっけなすぎる思てたんよ、コオロギの声きれいやしええ思い出やわ〜」

なんて(京都のかた)。わーん、やさしい。。

 

あたたかい母性がふわぁっと漂うような方で

ふだん誰にも言わないようなこと、いろいろ、話してしまった。

「なにゆうてんの~、まだ34やん、やっといろんなこと分かってきたとこやん」

「だいじょうぶ、なんとかなるものよ」

「だって、自分の若いころ振り返ったら、偉そうに言われへんし~」

 

 そしてさいごに

「娘には言えへんかもしれへんけど、ほんまにそう思てるのよ」

 って。

 

へぇ。

よその娘には言えても、

じぶんの娘には言えないことがあるんだ。

おもしろいな。

わたしもいつか母になったら解るのかしら?

 

 

この間も、母と同じような年齢の大好きなお客さんに

「長女にはつい、言ってしまうんよ。なんだか自分を重ねちゃって。

ふふ、ごめんね~。お母さんの代わりに、謝っちゃう」

なんて、言われたっけ。

その方も、とてもとても素敵なアドバイスをくれた。

 

 

もしかしたら、うちの母も

ほかの娘さんには、同じように、助言したりするのかもしれない。

そう思うと、なんだかおかしくって。

よそのお母さんから、うちのお母さんを、翻訳してもらったような感じ?

 

 

母とか、娘とかいう役割じゃない

もっと純粋な、母なる存在からのエール、とでも表現すればいいのかしら。

 

 

やりたいことを、遠慮せずに、やりなさいって、

みんなが、教えてくれている。

 

 

夏がいってしまう

夏が来たことを知らないまま

会いたい人に会えないまま

夏がいってしまう

 

記憶の輪郭は

ほとんどぼやけてしまった

こっそり、仕舞い込んでる

いつでも取り出せるところに

 

見つけてほしいけど

こんな恥ずかしい自分は

見つけてほしくない

 

どうしたらいいかわからない

こんな気持ちになったことがないから

 

そうして

あれこれ考えているうちに

夏はいってしまう

たぶん

 

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