listen こえびメモ

リスン・デザイン こえびのブログ

日々感じていることをつらつらと書きます。

170302今日のダーリン

正しいことは、いちばん人を傷つけるのだと思う。

それが正しければ正しいほど、逆行するものは「間違っている」ことになり

間違っているほうは、逃げ場がなくなってしまうからだ。

自分に対しても、人に対しても、あえて、逃げ場をちょっと残しておくこと。

正しいかどうかよりも、誰も悪者にならない答えを見つけることのほうが

長い目で見ると、よい方向に向かうこともあるのではないかと。



なにか解決したい問題があるとき、
 その問題の中心に中心にと向かうのは、
 まちがった方法ではないのだろうと思う。
 おそらく、ぼくもそうしていることが多い。
 ただ、それは、問題に答えが出たときに、
 みんなが「よかったね」と言いあえるような場合だけだ。
 家の改築だとか、なにかの借金だとか旅行の計画だとか。
 そういうケースでは、中心の中心で、
 「いちばんいい方法は、これだ」ということが
 見つかれば、もうそれでいい。

 そうじゃなくて、複雑にからみあった問題だとか、
 人間関係そのものになにか問題があるときには、
 いちばん中心のところに解決を求めても、
 こじれていくばかりということがある。

 それが「正解」なのかもしれないけれど、
 人と人とが反発しあうようになったり、
 慰めようのないくらい悲しい目にあう人が出てきたり、
 だれもが、それぞれに孤立していったり、
 というようなことがあるものだ。
 話せばわかるというけれど、
 話してもわかっても幸せに近づかないこともある。
 
 どうなればいいのか、の、いちばん納得のいく答えは、
 みんなが幸せになればいいということのはずで、
 逆にみんなが不幸になるような「正解」は、
 選ばないほうがいいのだと思える。

 ぼくが思うのは、正解かどうかはともかく、
 できるだけ多くの人を不幸にしないことだとか、
 できるだけ多くの人を幸せにすることだとか、
 そして忘れちゃいけない、
 「わたし」を不幸にしないということだとかを、
 よくよく考えて、そっちの方に歩みだすことだ。
 
 妥協とか、いい加減とか言われるかもしれないし、
 そんなことでいいのか、とじぶんでも思うかもしれない。
 それでも、「わたしを不幸にしない」を忘れちゃだめだ。
 いちばん近くの、生きるべきいのちは、そこにある。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いちごのジャムを、ひさしぶりにじぶんでつくっています。

編集者という生き方

今日のセカアカ、先生は雑誌「ONKUL」編集長の安達薫さん✨✨

FUDGEから派生した雑誌で、コンセプトは「おじさん」「ハンサム」「ユニセックス」「ベーシック」。

雑誌にはめずらしくざらざらしたマットな紙に、ほとんどスミ文字だけでシンプルに組んでいる。

三栄書房が出版してる雑誌のエディトリアルデザインは、どれも余白がきれいでとても好きなのだ。よく参考にしてる媒体のひとつなのでうれしい。

 

たくさんあそんで、色んな人に会い、好きなものにフォーカスして、読者に共有していくっていう、自分の感覚を信頼していく生き方がとてもすてきだった。

編集ってなんですか?という問いに対しての答えが

なにか気にかかることをいつも考えて心に留めておくと、自然にそれに関する情報が集まってくる。だった。

こういう答えかたが、すごく編集者っぽいなっていうか、理屈じゃなくてもう、感覚というかライフワークに近いんだなって感動した。

あと、大前提が「好き」で、「楽しい」って思いながら作ることがほんとうに大切なんだっておっしゃってた。それは、すごく分かる気がする!ばんばん!

f:id:listen-design:20170219053900j:image

 

今回はBクラスで聴講させてもらって、さいご飲み会まで参加させてもらった。

通ってる人がほんとみんな魅力的。あこがれの活版印刷のワークショップをやってる方や、サブカルチャーにくわしいお坊さん、台湾が好きすぎる方などお知り合いになれて嬉しかったです。

 

あ、あともうひとつ今日安達さんの話ききながら感じたこと。

常に、自分がつくった媒体を持ち歩いて、だれと会っても大丈夫なように準備していること。可視化したものをいつも持っておくことの大切さ。それも意識するかどうかのことなんだと思う。わたしはまだ、伝えたいという意識が甘いなぁと思った。

 

 

写真にも運動神経というものがあるんだな、と、そんな感じの。

きのうは瀬戸内市にてロケ撮影でした。
ココホレジャパンさんと、あこがれの中川正子さんと。
(緊張しすぎておなかいたかった)

f:id:listen-design:20170214142133p:plain


うまく言えないけど、

写真にも運動神経というものがあるんだな、と、そんな感じの。

ほんとうに絵が上手いひとがサッと描いた、迷いのない曲線のような、そんな感じの。

 

写真、カメラ、正子さん、は、もはや三位一体というか、境目もなくて

まるでひとつの道具のように、すっと、美しく佇んでいる。

 

すーっと風が吹き抜けていくみたいに心地よくて、

思わず心がふっとゆるんでしまうような。そんな人。

人も、海も、空も、光も

シャッター音に溶けて、ひとつになってしまう。

わいわいとにぎやかな笑い声の、奥の奥のほうに佇む、凜とした、静けさ。

 

f:id:listen-design:20170214142254p:plain

 

そしてなぞの、天気に見守られている感。。

撮影が終わった瞬間に、雨がパラパラ。次の撮影場所に着くころにはまた日が射して。

(よくあるんだよー。と、さして珍しくもなさそうに。シャーマンなのかな。。)

 

とにかくわたしは、今までもとてもすきだったけど

ご本人のとても屈託がなくて素直なかんじに

さらにとても好きになってしまった。


そしてディレクションと企画編集を担当されているココホレさんのさくさくっと息のあったお仕事の進め方も、細かい段取りからお話の聞き方からとても格好よくて、

夫婦でこのタッグが組めるってすごいなぁと改めて。

ぜったいによいものを作りたい。

 

 

f:id:listen-design:20170214142330p:plain



【お仕事のご報告】「夕食とお酒 あまおと」ロゴデザイン等

Facebookのほうにもまったく同じ文章なので重複するけど、

どこからどんな方にご覧いただけるかわからないので、こちらにも^^

昨日は、表町のあたらしくオープンするお店「夕食とお酒 あまおと」さんへ。
夕食やお酒をていねいに味わえて、しあわせな気分になれました

(ふだんろくなもの食べてないから染み渡りました)
隣の席のお魚屋さんに、お魚のうんちく聞かせてもらいながら、仕入れたてのお魚をいただく贅沢!
さわらも鯛もウニも、あわせて選んでいただいた日本酒もすごく美味しかった。

今回わたしは、ロゴデザインと告知ツールをすこしお手伝いさせていただきました。
河田さんの頭のなかのビジョンをかたちにしていくという感じで、
はじめはなかなか感覚が掴めず、試行錯誤する中で、かなり勉強になりました。
何度かお会いして人柄に触れるうちに、頭よりも感覚でわかるようになって、そこからは早かったですね^^

外装および内装のディレクションは、建築士の重名さん。
細部までこだわってデザインされていて、三角形がいろんなところにあしらわれてるのが可愛い。
幾何学的なデザインと、手仕事の照明や、アンティークの器がいい感じになじんでいてステキ。

ちなみにグランドオープンは2/10です。
お店の情報はこちらから
https://m.facebook.com/amaoto.0210/

日本酒はおいしくてすぐ酔っ払ってしまいますな(^ν^)

f:id:listen-design:20170204192417j:plain

ウニのだしかけご飯、いわしの節分風、牡蠣の燻製、錦糸卵のはいった春野菜と海鮮のサラダ、黒豆とチーズに金柑を添えたおつまみなど。写真はないけど鰆鯛寒ブリのお造りに、白子と春菊の茶わん蒸し。など、写真撮れかなったけどほかにもたくさん!ごちそうですね。

 

f:id:listen-design:20170204192419j:plain

まず、美味しそうな雰囲気が伝わるロゴにしたいなと思いました。ほっこりと、思わず立ち寄りたくなるような、女性らしいしっとりとしたムードが伝わるように、デザインしました。
おだやかに春に向かう、しとしとと柔らかい雨が降る季節。店主が小さいころから思い入れのある「雨の音」を店名にしたそうです。

 

f:id:listen-design:20170204192421j:plain

外観も、こだわりの照明、藍染めののれん、看板の素材や丸みなど、店主のこだわりが詰まっています。
(看板はまだこれからブラッシュアップ予定だそう)

 

f:id:listen-design:20170204192424j:plain

工務店の蒲原さんと、重名建築士夫妻と、店主の河田さんと。 

 

f:id:listen-design:20170204192426j:plain

内装は三角形が随所にあしらわれてて重名さんらしいテイスト(奥のワイングラスがかけられてる棚受けとか)男性的な幾何学的なデザインと、小物や照明のほっこり感がちょうどいい感じ。ゆらぎのある灯りは落ち着きます。

 

 

エディトリアル演習の授業について

きのうは、よくわからないなりに一年間つづけてきた、非常勤講師のさいごの授業。

最後なので、チームごとにプレゼンしてもらう。

それぞれのプレゼンに対して感想を伝えてもらうと
「お洒落でいいなと思った」「なんか○○っぽくていいなと思った」

のように、抽象的な表現が多い。わたしもそうだった。

なぜそれがいいなと思ったのか、どこを見てそう思ったのか、「言葉」で説明できるように、なってほしいなと思う。
わかる人どうしだと、わかるんだけど、わからない人にその感覚が伝えられるのは、

いまのところ「言葉」だけなんだよ〜

「言葉」は、デザインと人をつなげるための「橋」になってくれる。

授業で伝えたかったけどうまく伝わったかどうか自信がないなぁ。



前期は、雑誌のトレースや新聞広告のトレースやマージンや文字組みの練習みたいな、たぶんわたしが生徒だったら「くそつまんない」ことばかりだったのだけど

そのせいか後期は授業取ってくれた子が減ってシュンとした。笑
後期はちょっと楽しい感じにしようと思って、グループ演習に。

 

3年生が5人で2年生が18人くらい、学年や科によってとうぜん技術も知識もちがうので、どうしたものかと思いつつ。

それぞれを編集部と仮定して、縦社会を意識できる構造をつくろうと思った。

「ホウレンソウ」(わたしも苦手なやつ)を、チーム内で徹底してもらって、LINEグループで密に連携をとってもらう。先輩の指示は絶対!先輩は責任を持って役割をふる。

冗談のつもりで、「やってみたかったらほんとにパン屋さんに取材してみてもいいよ」って伝えたら、みんな嬉々として取り組みはじめた。
「ほんとうの仕事みたいでわくわくした」そう。
(いきなり突撃取材した子もいたらしく)(ヒヤヒヤした)(お店の方ほんとうにすみません。。!)

授業を終えてみて、わたしの中で学んだこと。

・前半くそつまんなかったかもだけど、後期は本気でエディトリアルやりたい生徒が残った(文字を組むのは地味な作業の連続なので、これでいい気がする)

・欠席する人が格段に減った(チーム作業には責任感があるのだろう)

・3年生がそれぞれのやり方でリーダーシップ発揮するようになった。

・2年は3年の指導を受けて、マージンの取り方や文字の級数など格段に上手になった

・取材・撮影・原稿作成など、デザイン以外のこともトータルで考える機会になった

・生徒同士が仲良く親密になった(卒業しても大切な仲間になるといいね)

 

来年の課題をおぼえがき

「修正→完成」「企画書も提出」「前期ももうちょっと面白く」「2年生に基本を手っ取り早く」「就職のこと」「社会ともっとおもしろく絡むことができたら」

f:id:listen-design:20170131120639j:plain
このチームは手づくりでしおりを作ってくれた。イラストがとてもいいよね!美味しそう。

f:id:listen-design:20170131120641j:plain
この子は写真が得意な子。タマゴの照りっとしたところがちゃんと出るように、スマホでライトを当てたり試行錯誤。

f:id:listen-design:20170131120643j:plain
2年生が作ったページをまとめるのは、3年生のアートディレクター。勝手に直すんじゃなくて、理由をちゃんと説明して、指導してからデザインを修正しています(偉い!)

f:id:listen-design:20170131120646j:plain生徒が作ったラフデザイン。メルヘンという目の付けどころも面白いし、このラフはとても分かりやすい。

 

想いに輪郭をつけるということ

わたしは気持ちを言葉にするのが苦手だ。
うまく言葉で言い当てることができないから、口から出た瞬間に自分の言葉に対して興ざめする。とくに焦ってすきまを埋めようとしてしまったときは最悪。
たとえば、「好き」という言葉を使ったあととか。
「好き」の裏にあまのじゃくな「嫌い」が潜んでいたり、好きのグラデーションは無限にあったりするのに、たったひとこと「すき」に纏めてしまうなんて、なんてがさつな簡略化なんだろう。
どのあたりのどのような形状をしている感情か、正確に伝えたいと思うから、自然と言葉えらびは慎重になる。

ふわふわと漂っているままに自由なかたちを描いているそれを
言葉という輪郭に当てはめるということがそもそも好きじゃない。
とても窮屈なかんじがする。

これがわたしの、言葉に対する世界観だ。

なんだかすごく、距離がある。

でも、言葉とうまくつき合っている人は、そんなふうに捉えていないことも知っている。
音楽とか、リズム、みたいな軽やかなものかもしれない。
息をするように言葉がさらさらと出てくる人は、それだけですごい才能だな、と
あこがれまじりの視線でまじまじと観察する。かっこいいよね。
まあでも、自分はそういう人には逆立ちしたってなれっこないのだ。
うまいこと言えないから、絵を描いて表現してきたのだもの。

それでも、喋るのはどうしたって得意にはならないけど、こうしてつらつらと、ゆっくりと、輪郭を試しながら言葉を書くのはきらいじゃない。
さて、ゆっくりつき合っていけばよいのではないだろうか。
せめてもうすこしだけ、距離を縮まるように。
そうだね、がんばって手を伸ばせば、肩に触れられるくらいに。