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listen こえびメモ

リスン・デザイン こえびのブログ

日々感じていることをつらつらと書きます。

【ただの日記】きのうときょう

きのうは携帯のキャリアをのりかえて、

どさくさに紛れて夢のペンタブレットを手に入れた。じゃじゃん!

使い方は若い子に聞こうと思います。笑

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そのほかコンペも2件かぶってて、たいへん忙わしなかった>_< 

でもiPhoneはうめの先生のおかげで生き返った^ - ^

 

 

今日はいそいそとうわさの食パンをゲットしに外に飛び出して

そしたら前の会社でお世話になったヨシコさんにばったり!

会いたいと思ってたから、ご挨拶行かなきゃと思ってたからうれしかった。

近ごろゆるめに糖質制限しているので、パンとか食べるの久しぶりすぎてめちゃくちゃ美味しかった〜

こないだ事務所で仕込んだロールキャベツも味が染み込んでよいかんじです。

 

ここのとこわたしは、事務所に住んでいます。

みんないないから静かで(笑)居心地がよすぎる。

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終日、ヒバリテラスの準備で加賀さんとか森山さんとかバタバタと階段を上下する声がきこえたりして、にぎやかでした。

新しいことが始まる雰囲気ってわくわくするな。

 

今日はめずらしく自分の中にたくさん人が登場しました。

とりとめのない、ほんとの覚え書き。

 

エディトリアル演習の授業について

きのうは、よくわからないなりに一年間つづけてきた、非常勤講師のさいごの授業。

最後なので、チームごとにプレゼンしてもらう。

それぞれのプレゼンに対して感想を伝えてもらうと
「お洒落でいいなと思った」「なんか○○っぽくていいなと思った」

のように、抽象的な表現が多い。わたしもそうだった。

なぜそれがいいなと思ったのか、どこを見てそう思ったのか、「言葉」で説明できるように、なってほしいなと思う。
わかる人どうしだと、わかるんだけど、わからない人にその感覚が伝えられるのは、

いまのところ「言葉」だけなんだよ〜

「言葉」は、デザインと人をつなげるための「橋」になってくれる。

授業で伝えたかったけどうまく伝わったかどうか自信がないなぁ。



前期は、雑誌のトレースや新聞広告のトレースやマージンや文字組みの練習みたいな、たぶんわたしが生徒だったら「くそつまんない」ことばかりだったのだけど

そのせいか後期は授業取ってくれた子が減ってシュンとした。笑
後期はちょっと楽しい感じにしようと思って、グループ演習に。

 

3年生が5人で2年生が18人くらい、学年や科によってとうぜん技術も知識もちがうので、どうしたものかと思いつつ。

それぞれを編集部と仮定して、縦社会を意識できる構造をつくろうと思った。

「ホウレンソウ」(わたしも苦手なやつ)を、チーム内で徹底してもらって、LINEグループで密に連携をとってもらう。先輩の指示は絶対!先輩は責任を持って役割をふる。

冗談のつもりで、「やってみたかったらほんとにパン屋さんに取材してみてもいいよ」って伝えたら、みんな嬉々として取り組みはじめた。
「ほんとうの仕事みたいでわくわくした」そう。
(いきなり突撃取材した子もいたらしく)(ヒヤヒヤした)(お店の方ほんとうにすみません。。!)

授業を終えてみて、わたしの中で学んだこと。

・前半くそつまんなかったかもだけど、後期は本気でエディトリアルやりたい生徒が残った(文字を組むのは地味な作業の連続なので、これでいい気がする)

・欠席する人が格段に減った(チーム作業には責任感があるのだろう)

・3年生がそれぞれのやり方でリーダーシップ発揮するようになった。

・2年は3年の指導を受けて、マージンの取り方や文字の級数など格段に上手になった

・取材・撮影・原稿作成など、デザイン以外のこともトータルで考える機会になった

・生徒同士が仲良く親密になった(卒業しても大切な仲間になるといいね)

 

来年の課題をおぼえがき

「修正→完成」「企画書も提出」「前期ももうちょっと面白く」「2年生に基本を手っ取り早く」「就職のこと」「社会ともっとおもしろく絡むことができたら」

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このチームは手づくりでしおりを作ってくれた。イラストがとてもいいよね!美味しそう。

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この子は写真が得意な子。タマゴの照りっとしたところがちゃんと出るように、スマホでライトを当てたり試行錯誤。

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2年生が作ったページをまとめるのは、3年生のアートディレクター。勝手に直すんじゃなくて、理由をちゃんと説明して、指導してからデザインを修正しています(偉い!)

f:id:listen-design:20170131120646j:plain生徒が作ったラフデザイン。メルヘンという目の付けどころも面白いし、このラフはとても分かりやすい。

 

世界はひろい〜わたしと母のこと

授業の1日目は、古賀先生(担任)による「 自分の新しい名刺を作ろう・新しい肩書きを考えよう 」と「自己紹介」から。

すてきな人がたくさんいたな。

帰りぎわに「また来週ね〜!」と言い合える空間があるっていいなって思った。

 

そのあとは、久しぶりにすずなりの長谷川さんにお会いする。

3年前?4年前?からずっとお世話になっているセラピストの方で、わたしはこの人に会ってから人生が加速度的に楽しくなってきた。

小さい頃から抱えていた生きづらさが、30歳を超えてほぼなくなった。いまは景色が明るくてほんとうに幸せである。

長谷川夫妻、ほんとうにありがとうございます。

 

さて、ここにいるということは、さらに深いテーマに向き合う準備ができたということ。

父とのもつれをほどく過程で、仕事への抵抗感がなくなって、気がつけばデザイナーとして独立することになった。あれから2年近く。

母との関係は、だれにとってもいちばん大きくて時間のかかる課題で、今日も、自分で、これ以上は先にいけないな、という壁を感じた。

胸のあたりの怒りと、罪悪感と、無力感みたいな塊が、重くて苦しい。

愛してほしい、でも腹がたつ、許せない、でも好き、頼ってこないで、放っておいて、でも寂しい、助けられなくてごめんなさい、みたいな感じでぐるぐるしている。

それはぜんぶ、愛の変化形なのだそうだ。

ちなみにこれは今の母とは全然関係なくって、わたしが幼いころにイメージしていた、若い頃の母に対しての気持ち。

さいごのほうは眠くなってうまく考えられなくなった。(わたしお得意の)(ナルコレプシー)(現実逃避)

でも、

すこーし、わたしから母へのジャッジは和らいで、お母さんはただのお母さんになった。気がする。

いろんな感情はあるけど、お母さんのどんな部分も、お母さんを構成しているたいせつな要素なんだなって思った。

 

世代が変わるごとに、すこしずつ女性の生き方の選択肢は増えてきていて、だからわたしはお母さんとは違う生き方を選ぶことができた。

おばあちゃんも、お母さんも、きっとひいおばあちゃんも、上の世代を踏襲して、流れに沿って一生懸命生きてきたんだと思う。

どんなに才能があっても、女性は学よりもお嫁さんになったほうが幸せで、結婚したら仕事はやめて家庭に入って、子どもを育てて、夫をサポートすることが幸せなんだって、そういう時代。

その時代には、それしか許されなかったのだと思う。

 

でも、保母さんの仕事が好きだったって、続けたかったって、言ってたな。私たちが大きくなってから何度か、中途採用の枠に応募していたっけ。そのうち、保母さんになることは諦めて、パートを続けることに決めたようだ。それからは、一切、その話はしなくなった。使えない社員のお尻を叩きながら、どんなに優秀な仕事ができる人でも(母はたぶん職場でもかなり優秀)時給は上がらないってぼやいてた。

好きなことを仕事にしているあんたが羨ましいって、言ってたな。

母の悲しみは、その当時の女性の悲しみなんだろうなって、思う。

それはどんなに、悲しくて、悔しいことだっただろう。かなしいね。わたしはこんなに好きなことばかりしていて申し訳ないな。ごめんね。

でもね、そこで勘違いしてはいけないのは、お母さんの人生におけるどのような選択も、お母さん自身が選んで決めて来たことだということ。

だから、わたしが罪悪感を持ってちぢこまってしまっては、いけない。

 

 

そして、わたしの胸に移植されてしまった怒りは、たぶんわたし自身のものじゃないから(自分の怒りはエネルギーにできるけど、他人の怒りはエネルギーにできない)わたしのじゃない気持ちは、お母さんに返そうと思う。

 

でも、1日ではとてもほどけないようなので、ゆっくり向き合っていこうと思う。

 

 

ここでも言葉の話をしたのだけど、

あえて輪郭をつけない豊かさってあるよねって。

短歌、や、詩、のような、限られた文字数で心情をなぞるような表現のすばらしさは

言葉がすくないものほど、読んだ人の解釈の余地というか、余白の部分がたくさんあって、先を想像させる豊かさがあると。

ヘルマンヘッセの言葉も教えていただいた。

「氷山の動きの持つ威厳は、それが水面上に8分の1しか出ていないことによるのだ。」

なんのこっちゃ、て感じだけど

氷山はほとんどが海の中で見えないけども、そういった見えないものが存在していることを我々は(意識せずとも)知っているから、見えるものの尊さや豊かさを感じることができる、ということ、らしい。

 

関係ないかもだけどアナウンサーの古舘伊知郎さんは牢獄の中でも生きていけるかも、と、こないだTVで言ってたな。たしか湊かなえさんとの対談で(この方もそうとうユニークな人だった)牢獄からポツンと見える外の風景を実況しながら、自分のことや考えていることを実況してネタにして客観視する。それをひとりでずっとやっていられる気がするって、言ってた。

 

なんでこの話を書いたのかよくわからないけど。笑

 

 

長谷川さんはドイツでワークショップを受けてからずいぶん変わったとおっしゃってた。

(それこそ言葉を軽く超越しているよね、外国でのワークショップなんて。言葉でのコミュニケーションができない状態でも、心を交換することができるんだ。ほんとに人ってすごいな!)

たしかに会った瞬間から、表情というか佇まいがパッと明るく軽やかな感じになってる。

勉強をつづけているセラピストの方は、こうして自身も常に進化しつづけているんだなーと。すばらしいな!

わたしも、数年前より雰囲気がやわらかくなって深刻さがなくなったと、そんなふうに見えるらしい。あはは。

お互いのよい変化を報告しあいながら、なごやかにこの日は終わりました。

すこし様子をみて、また準備ができたら、会いにいこうと思います。

 

It's all right.

今日からはじまる。

やるべきことをやったら、もう不安はあまりなくなった。

いい年してって友だちにはバカにされるけど、わたしはまだ高速バスをよく使う。笑

安いからってのもあるけど、わたし高速バスが走り出した瞬間の胸の高鳴りがすごく好き。

朝日がゆっくり昇る。

さて、行ってきます!

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あたらしい世界に飛び込む。

クリスマスのすこし前、京都で知らないおじさんに会った。

おもしろい学校が始まるとのうわさを聞いて、さんざん悩んだあげく、とにかくこれをやってる人に会わなきゃと思ったのだ。

おじさんというのは、世界文庫アカデミーを主催している担任の先生のことで

ご自身もデザイナーであり、アーティストでもある。

 

このアカデミーの最大の魅力は豪華な講師陣で

現役のデザイナーやアーティスト、編集長など、独自の生業を営み、第一線で活躍されている方ばかりである。

世界文庫アカデミー

 

この面接で、ちょう失礼で、悲しくなるくらいほんとうのことをズバリと指摘された。

 

「あなたがさっきから話していることの9割はムダです」

「なにをやりたくてここに来たのですか」

「そうじゃなくて、あなたが本当にやりたいことです。」

「そうじゃなくて、本当に古戎さんがやりたいことは何なのですか?」

 

シンプルな質問に答えられない。

ほんとうは分かっているし、それは自分の中に明確にある。。。のだけど、うまく掴めない。

一生懸命、話そうとしているのに、ほんとうのことがひとつも出てこなくて、自分でもびっくりした。

「それっぽい」言葉だけがさらさらと上滑りしているようで、その「それっぽい」言葉を聞きながら、情けなくて涙が出てくる。

 

だって、わたしはデザイナーなのだからデザイナーっぽいことを言わないと筋が通らないじゃないか、とか

いい年をしてそんなふわふわとしたことを考えているなんて、呆れられやしないか、とか

言葉にするまえに、「こんなこと言ったらこう思われるかも」という自動制御システムが働いてしまう。というか。

 

わたしは人の話を「聞く」のは好きで

そこから、さまざまな要素を掬いとって組み立てていく過程が好き。だからデザインという仕事が好きだ。

だけど、自分のことを人に「伝える」のは苦手で

仕事のことならわかるけど、自分のことはよくわからないし、

自分の好きなことや感じていること、ほんとうの気持ち、は、わざわざ人に言うほどのことでもない気がして、なかなか口に出せない。それに、なにか言わなきゃ、と思って出てきた言葉は、いつもすこし本当の気持ちとはずれていて、そのたびに残念な気持ちになる。

小さい頃から人と話すの苦手だったこと、ずっとコンプレックスだったことを思い出した。

あ、そうか。口でうまく表現できないから、ずっと絵を描いてたきたんだ、ということも、思い出した。

 

追いつめられて逃げ出したくなって、言葉より先に涙が出てきてしまって、ぽろぽろ泣いた。

気持ちがおちついたころ、頭の中のノイズがなくなって、やっと本音が出てきた。

(でもここに書くのはまだ恥ずかしい)

 

「なんだ、ちゃんとあるじゃないですか」

「それを言うのにこんなに時間がかかるなんて」

「うん、それは、すごく、いいとおもいますよ」

「そんなの、まだやってもないことなんだから、具体的に言えなくて当然ですよ」

 

否定されるかもとビクビクしていたのに、あっさりと。

ふわっとしたものをふわっとしたまま、受け止めてくれた。輪郭のあいまいな、いかにも抽象的な夢だけど、世の中には、それを良しと言ってくれる大人もいるらしい。

なんだ、ほんとのこと言っても、大丈夫なんだ。と思った。

 

さいごに

「ここでは、できるだけ取り繕わずに、かわいげのある古戎さんで来てください」

と、言われた。(かわいくないってことですねつまり)

ドヤ顔で(ちくしょう)(でも素直に)(がんばろうと思いました)

 

あまりにもインパクトの大きいできごとだったので、それからしばらく、気持ちは沈んだままだった。

(ご本人曰く、ふだんは穏やかな方だそう(ほんとか))

でも、ここに通おうという決意だけは固まった。

だって、わざわざ初対面でそこまで踏み込んでくるなんて、そんな面倒くさいこと。

さらさらっと、笑って、受け流した方が楽だし、そうやって生きている人のほうが多いこの世の中で。

このおじさんは、むかつくけど、信用できる人間だと思った。

同時に、デザイナーとしてほんとうに第一線でやってきた人って、

やっぱり本質を見抜くんだなと思った。

(古賀さんはアートディレクターでもあって)(くるり曽我部恵一ウラニーノなど)(大好きなバンドばかり)

 

学校は明後日から始まるけど、正直いうと、ちょっと怖い。。
なんだかすごく緊張する。
でも、この怖さは、向き合うべき怖さなんだろうなと、思う。

なにか大切なものに近づいているゆえの怖さ、というかさ。
わたしはちゃんと「かわいげ」発揮できるだろうか?
(かわいげないって女子に対して失礼だよね)

でも、ちょっと楽しみ。
どんな人に出会えるかな。

 

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調子が良くなってきたんだなっていう実感

久しぶりにたくさん本を買う。

ずっと気になってたもの、好きな作家さんの新作、
たまたま目に入った、すてきな装丁。

何年もフリーズしていた読書の時空が、急に動き出した。

調子、よくなってきたんだな。

本や映画を、前みたいに観られるようになってきたことへの喜び。

6年くらい前だったかなぁ。

友だちにたくさん本を借りたことがある。

ひと月近く借りっぱなしにしておきながら、一冊も読めずに、返したっけ。。

あのときの絶望感といったらなかった。情けなかったな。

あらゆるインプットが、苦しくて仕方なかった時期。

なにも考えられなかった時期。

 

長い時間をかけて、すこしずつ、もともとのわたしに戻っていこうとしている。

そのことがただ、たまらなく嬉しい。

想いに輪郭をつけるということ

わたしは気持ちを言葉にするのが苦手だ。
うまく言葉で言い当てることができないから、口から出た瞬間に自分の言葉に対して興ざめする。とくに焦ってすきまを埋めようとしてしまったときは最悪。
たとえば、「好き」という言葉を使ったあととか。
「好き」の裏にあまのじゃくな「嫌い」が潜んでいたり、好きのグラデーションは無限にあったりするのに、たったひとこと「すき」に纏めてしまうなんて、なんてがさつな簡略化なんだろう。
どのあたりのどのような形状をしている感情か、正確に伝えたいと思うから、自然と言葉えらびは慎重になる。

ふわふわと漂っているままに自由なかたちを描いているそれを
言葉という輪郭に当てはめるということがそもそも好きじゃない。
とても窮屈なかんじがする。

これがわたしの、言葉に対する世界観だ。

なんだかすごく、距離がある。

でも、言葉とうまくつき合っている人は、そんなふうに捉えていないことも知っている。
音楽とか、リズム、みたいな軽やかなものかもしれない。
息をするように言葉がさらさらと出てくる人は、それだけですごい才能だな、と
あこがれまじりの視線でまじまじと観察する。かっこいいよね。
まあでも、自分はそういう人には逆立ちしたってなれっこないのだ。
うまいこと言えないから、絵を描いて表現してきたのだもの。

それでも、喋るのはどうしたって得意にはならないけど、こうしてつらつらと、ゆっくりと、輪郭を試しながら言葉を書くのはきらいじゃない。
さて、ゆっくりつき合っていけばよいのではないだろうか。
せめてもうすこしだけ、距離を縮まるように。
そうだね、がんばって手を伸ばせば、肩に触れられるくらいに。