listen こえびメモ

リスン・デザイン こえびのブログ

日々感じていることをつらつらと書きます。

空っぽになったミットは風通しよく

 

わたしが投げたボールは、

届いただろうか

 

 

 

 

できるだけ真っ直ぐ

やるべきことをやった清々しさで

いまはすっきりとした気持ち

 

 

 

 

今まで挑戦したことがない

むずかしい宿題だったのだ

わたしにとっては

 

花マルをつけよう

きっと、これ以上もこれ以下もない

 

 

 

 

次のターンはそちら側だよ

 

どんな変化球がくるか

ちょっぴり楽しみにしてる

 

 

 

 

 

空っぽになったミットは

手のひらが開放されて

見上げた空はどこまでも青く

走り出したくてたまらなくなった

 

軽やかに動きつづけることが

わたしがわたしで在るための原動力だから

ずっとおなじ場所には居られない

 

 

 

すべてはトライアンドエラー

思い残すことはなにもない

 

 

 

 

 

次のフェーズが

目の前にどこまでも

広がっている

 

 

 

 

 

いまこの瞬間を、抱きしめる

 

 

世界がわたしに染みこむ

 


滲んでいく

広がる

心が染まっていく

 

 

 

 


悲しい気持ちも

うれしい気持ちも

ずっとは続かない

 


すべては変わっていくということだけが

この世界に約束されたルールなら

 


コロコロと変わる

夏のお天気のように

 


どんな感情も

きっと明日には消えてしまう

打ち上げ花火の刹那

 

 

 

 

 

 

来年の夏にはきっと

わたしはこの場所にいないだろう

 
今、この窓から見える空の色も

うまく縮まらない距離も

 

いまここにしかない

たいせつな宝物だから

 

 

 

いまこの瞬間を

抱きしめる

 

このもどかしさごと

せいいっぱい

 

 

 

 

 

 

 

 

心のなかの発光体

 

表現するひとは言葉少なに

溢れたものは

音楽や詩になる

 


すべてを背負って

ひらいていく

明るいほうへ

 

 


ひとつのことだけを

追いかけていく

 


その覚悟と

凄み

 


ほんとうに強いものは

しなやかで

どこまでも優しい

 


そういう力強さを

秘めたひと

 

たくさんの人に

ひかりを与えられるひと

 

 

 

これから先どんなときも

心のなかで光りつづける

その発光体は

わたしの一番星

 


可愛くて

尊い

なによりも

愛おしいもの

 

 

 

美しい色とかたちになったそのひとそのもの

 

ひとは嘘をつくけど
詩はうそをつかない

絵をみればわかる

純粋なこころの色

 

 

ずっと
瞳のきれいなひとだと思っていた
透明度がとても高いというのか
ラムネの瓶の中からとりだしたビー玉みたいな

 

そうそう、
子どもみたいに
純粋で、無邪気で

うそがないひと

 

 

ずいぶん前に
そのひとが描く姿を見た。

息を呑んだ
どこまでも自由で
子どもみたいに純粋で
力強い
しなやかな身体の動き

忙しい合間を縫った
ほんの一瞬だけだったけど
それはとても美しい場面だった

 

 

純粋なエネルギーは予期せず
ひとつの流れを変えてしまうこともある
傷つくこともあるかもしれないけど
動きを止めない強さを携えて

 

 

きっと
わからないひとには
永遠にわからないものなのだ

なにもないところに描きだすということが
どういうことなのか
それがどれほど命がけで行われているかを

すべての状況を、過程を
まるごと信頼して任せる
それが、表現に対しての誠実さだと
わたしは思う

 

 

とても素直に言ってしまえば
え、なにこのひと、と思ったこともあるのだけど
やっぱり本質的にきれいな人は
どこまでいってもきれいだから
嫌いだと思うことの方が難しい
そんなのずるいよと思うけど
人たらしってのはそういうこと

 

尊い
あこがれる
嫉妬なんてはるか遠くに越えてしまうくらい

わたしはこういう純粋な人が
本質的に
とても好きなのだ

 

 

画集を買った

絵はほんとうのことしかいわない
詩はうそをつかない

いろんな気持ちが伝わってきて
すこし苦しくなった


どうしたらいいのだろうと思った
なにかできることがあるとすれば
しっかり向き合って感じることだと思った

 

わたしのなかにも同じものがある
きっと
奥の方をどこまでも辿っていけば
おなじひかりと鮮やかさと痛みがある

その強烈な感情は
どんなに苦しかったとしても
わたしを構成している大切な一部であり
とても愛おしく尊いものだ

 

 

さわったらドクドクと波打ちそうな
エネルギーのかたまり
じっと感じてみる
美しい色とかたちになった
そのひとそのものを感じてみる

 

 

おいしい気持ちを思い浮かべる

 

 

そんなにまっすぐなものを

今まで受け取ったことがないから

どうしたらいいか、わからなかった。

 

 

 

 

いちばん食べたかったケーキが

今ここにあるのに

目をぎゅっと閉じて、見ないようにしている

自分にはとてもじゃないけど

ふさわしくない気がして

 

感じたままに、くちに運んで

わぁ美味しい!って、

それだけでいいのに

このいたたまれなさは一体、どうしたことだろう。

 

わたしの中に小さなわたしがいる

口をきゅっと結んで

そんなものはちっとも欲しくないと

溢れ出しそうな感情を

必死で抑えている

  

どこで諦めてしまったのか知らないが

いちばん欲しいものを素直に受け取れないのだとしたら

 

それはとても

とても

悲しい

 

 

 

そんなふうにしかできなくて

ごめんね

ケーキがかわいそうだね

もっと素直なひとのところに

行けたらよかったね

 

なんてまたほら

思ってもいないことがすべり落ちそうになる

 

 

 

自信のなさが

気づかないうちに誰かを傷つけて

自分の感情に溺れている間に

たいせつなひとの顔が見えなくなる。

 

もうそんなのは嫌だなあ。

 

 

 

もっと、強くあれますように。

 

ほんとうに感じていることを

感じられるようになりたい

ほんとうに言いたいことを

言えるようになりたい

絡まった気持ちをひとつずつほどいていけば

最後にはきれいなものが残るはずだから

 

 

 

今はまだ

まぶしすぎて

じょうずに受け取れない

 

なくなるのが怖くて

おいしく食べられない

 

だけど

どんなにたいせつに保管したって

おいしいものはいつか腐っていく

 

なくなることを考えるんじゃなくて

おいしい気持ちを思い浮かべる

 

くちいっぱいに頬張って

おいしかった!って、言えたら

そんな瞬間がたくさんあれば

その気持ちがきっと

きっと

つぎの瞬間をまた

呼んできてくれる

 

 

そういう物語を、信じること。

 

 

 

 

 

 

 

listen design の由来のこと

 

 

唐突に思い出したことがある。

 

何故わたしは屋号を「listen」と名づけたのだろう?

わたしにとって「聞く」ことって何だったのだろう?

 その問いに対しての答え。

 

 

すこし前のこと。

自分の仕事をまとめるために諸々思索していたことがきっかけで

実家の父に、小さい頃の写真を送ってほしいとお願いした。

それらを眺めているうちに、思い出したのだった。

 昔、とても静かな世界に住んでいたことを。

 

わたしは幼い頃、侵出性中耳炎という病気にかかり、周囲の音がほとんど聞こえなくなった。

耳に水がたまって音が中に響かなくなる症状で

母は当時の耳鼻科医に怒られたという。

もうすこしでこの子の耳は聞こえなくなるところだった、と。

 

両耳とも手術で大きく切開したものの

小学校に入ってまもなく完治し、いまは普通に聴こえるようになった。音楽もとても好きだ。

 

 

 

 

ただ、静かな世界というのはとても良いものだった。

じっくりと、物語や、絵の世界に浸っていられた。

 

聞こえるようになったときはえらく驚いたものだった。

トイレの水を流す音に心臓が止まりそうになった。

レジ袋の音、テレビの音、電車の音、

「なんて世界はうるさいんだろう」と驚いた。

 

友だちの言っていることが分かると、

おしゃべりができるようになった。

この頃からすこし活発になったのだと母は言う。

 

 

 

 

聞こえないとき、わたしはどんなふうに

世界とコミュニケーションをとっていたのだろう?と、ふと思う。

ひとつの感覚が使えなくなると、

それを補おうと、別の器官が急速に発達することがあるという。

 

いまこの子はなんの話をしているのか

どうして笑っているのか、

聞こえないかわりに、

じっと見つめて、空気の変化を感じ、

全身をそばだてて生きていたのだと思う。

 

 

 

 

きっと

わたしにとって「聞く」ということは、

耳で「聞く」ということを超えた意味を持っていて

 

「聞こえない」ことが、わたしにとって

「聞く」ことそのものだった。

 

これがわたしにとっての原体験であり本質であり

存在意義のような気がしている。

わたしが絵とデザインを生業としている理由でもある。

 

 

 

 

直感的に降りてくるものは

だいたい、そのときは意味が分からないものだけど

それが正解だということだけは分かっている。

5年後に気づくなんて遅すぎやしないかと思わなくもないけど

自分の中でひとつ、整理できてよかった。

 

読んでくれてありがとうございます。

 

 

 

 

いつか、わたしのもうひとつの資質であるナルコレプシーのことや

眠りのこと、夢のことも書こうと思います。

 

 

 

使い古された言い方かもしれないけど

生きていて無駄なことはひとつもないんだな、と思う。

大人になってからすべての出来事に対する答え合わせができている気がする。

 

 

 

 

 

 

白い鳩と飛ぶ夢

 

こんな夢を見た。

 

白いちいさな鳩の夢。

自分が鳩になっているのか

あるいは、鳩と一緒にいるのか、定かでない。

もしくは、鳩が主人公の映画を観ているのかもしれない。

 

 

真っ白い大きな鷹が、行く先を教えてくれる。

はるか遠い空の向こうを指し示している。

わかりました。そちらに行けばいいのですね。

鳩はうなずく。

 

言われるままに鳩は飛ぶ。

高速道路をすごいスピードで飛びまくる。

まるでロケットみたいな飛び方だ。

とても急いでいる。早く、早く!!

車と車のあいだを縫うようにして

全力で前へ前へと飛び続ける。

 

トラックとトラックの狭い隙間をすり抜ける。

なんてスリリングな旅路なのか、

ヒヤヒヤしながらも、生々しいその臨場感に、興奮している。

 

後ろからなにかが迫ってくる。

さっきの鷹だろうか。

早く行けと、もっと進めと、圧をかけられているような。

でも、見守られている喜びもあるような。

 

 

そのうち、鳩は地面すれすれを飛ぶようになる。

今にもポトリと落ちてしまいそうだ。

というか落ちた。

 

どうした、故障か?

(なにか大切な道具が壊れたときのような残念な気持ち)

 

わたしはそれを拾い上げて

もう一度飛ばそうとする。

紙飛行機を飛ばすみたいに、鳩を投げる。

 なんとかフラフラと頑張って進むけど、またすぐポトリと落ちる。

 

仕方ない、よく頑張ったよ。

 

わたしは鳩を拾い上げ、肩にのせる。

いつのまにか鳩の体は長くて白い帯状になっており

ふわふわのベルトを肩に掛けているような格好だ。

 

鳩の顔はわたしの背中にある。

顔はどす黒く変色し、瀕死の状態である。

 

そっと白い羽に触れてみると、身体はまだあたたかい。

ベルトのもう一方の端っこを手に取り

同じように肩にかける。

いつのまにかベルトの両端に鳩の顔がついているからだ。

新しいほうの鳩の顔は、とても元気そうだ。

 

新しいほうの鳩が、死にそうな鳩に寄り添う。

少しずつ、死にそうな鳩の顔に生気が戻り、

生き返ったことを確認する。

 

わたしは、よかったあ、と、

心から安堵する。

(あるいは、故障した道具を修理したときの、これでまだ使い続けられるぞ、とほっとした感覚か)

 

 

 

彼らを両肩に載せて、

わたしはてくてくと歩き続ける。