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listen こえびメモ

リスン・デザイン こえびのブログ

日々感じていることをつらつらと書きます。

170411今日のダーリン

わたしは特に新しい環境で働き始めたりもしてないけど。

入社した時も、入学した時も、この季節はだいたい、元気いっぱいではなかった。
みんなきっと、そうだったんだろうな。

みんな新しい就職先げんきでやってるかな。


 四月の、いまごろ。
 新しい環境にある人は、戸惑ったりしやすい。
 新しい場所でなにをしていいのか、
 なにをするべきなのか。
 そうそうわかるものじゃない。あれれれ、である。
 じぶんの力が、どこでどうやって発揮できるのか。
 まったくわからないし、力なんて、あったっけ?
 戸惑ったりもするし、悩みやすくもなる。
 もっと、ずっと、たのしみにしていた四月なのに。
 どきどきわくわくしていたはずなのに。
 たった三日で疲れちゃった、かもしれない。
 いや、たのしいことだって、なくもないかな。
 だけど、わたしはどうなっていくのかな。
 このままでよかったんだろうか。
 夢を見過ぎていたのだろうか。
 もっと、つまらないと覚悟してればよかったのか。

 ‥‥というようなところにいても、
 それでいいのだと思う。
 そんなもんだと思う。
 もし、戸惑ってなくて、
 とても元気でやれている人がいたなら、
 そりゃもう、とても運がいいってことだ。
 
 四月のいまごろは、戸惑いの時間。
 急いでどうにかしようとしなくてもいい。
 小さくてもたのしいことを、
 ひとつでもふたつでも見つけられたらいいんじゃない。
 近所に、おいしいパン屋さんがあったとか、
 通い道ですれちがうかわいい人がいたとか、
 それくらいのことを、見つけただけで大当たりだ。

 うまくても、へたでも、「そこに一所懸命にいる」。
 いることだけが大事だと思っていい。
 「いる」って、どういうことか?
 あえて助言をするならば、「いる」というのはね、
 「耳でよく聞いていること」と、
 「目でよく見ていること」そして
 「足でよく歩いていること」だよ。
 それをちゃんとやっていることが「いる」ということ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あと、むだ吠えしないこと、拾い食いをしないこと(笑)。

春には感情の大波がやってくる。

年度末はプチ地獄だった。

 

春分の日あたりに突然やってきた感情の大波のはなし。

慣れない運転で、西粟倉村から勝央町にいって帰る道中だった。

いちばん忙しいときで、たった1日パソコンに触らないだけで、催促の電話や、メールがどんどん送られてきて軽くパニックに。

(今思うとそんなに大したこともなかったんだろうけど、余裕がないときはそうは思えないよね〜)

元気なときなら、たいていのことは平気なのだけど、確定申告というラスボスにけっこうダメージを食らってたのかも。

 

叫びだしたくなるくらい、気持ちが不安定になった。

なんで皆そんな勝手なのって、怒りと不安と焦りが一気に押し寄せてきた感じ。

からだもこころも疲れていた。

 

今思うと。たぶん、一生懸命、デトックスしようとしていたのだと思う。

理不尽なことがたくさんある。でも、だれにも感情をぶつけられずに、グッとこらえてニコニコしていないといけない、そんな状況を自分なりに労おうとしていたのだろう。

わーわー泣いて、ぐっすり寝たら、すっきりした。

イヤな夢をたくさん見た。でも、夢で最悪の状態を予行演習したら、そんなに怖くなくなった。

 

人間には、自浄能力がある。

女性は特に、そうなのかも。

うん、春だなぁっていうことを感じた1日でした。

 

170328今日のダーリン

近ごろ調子が悪いのか便秘気味と言いますか

じぶんのなにかを表現する元気がないので今日もこんなかんじ。


今日のダーリンって天気予報みたいなのだよね

ももやもやと気になっていることが、糸井さんの視点で整理されて述べられている。

その照らし合わせで、自分の考えていることがちょっと見えてきたり。クリアになったり。


「はずれ」だと思ってたことこそ、わたしのなかでは大切な糧になっているような気がする。
そういうことを、いつか、伝えるべき誰かに伝えられたら。
「勝ち組」「負け組」なんて、ひとつの通過点をそう呼んでいるだけだしね。


・受験だとか、就職だとか、人生のなかで、
 どっちに進むのか、どっちに選ばれるのかについて、
 真剣に考えることは、何度かありますよね。

 こんなふうに落ち着いて言っているぼくは、
 高校の合格発表の前の夜に、どういうわけか、
 近所の人と家族の間のひそひそ声が耳に入って、
 「落ちたのか!」と勝手に決めて、
 布団のなかでひとり泣きしていた経験があります。
 あとで思えば、なんで近所の人が、
 おれの受験の不合格を知らせにくるんだっつーの。
 どんだけか、ばかな15歳だったんですね。
 なんでしょうか、あの「生か死か」みたいな切迫感は。

 ある学校に受かったということと、落ちたということ。
 また別の学校に入れたということ、浪人すること‥‥。
 道は、いくつかに分かれています。
 いくつかに分かれていて、それについて、
 「じぶんはどうなりたい」という希望はあると思います。
 それは、会社に入ることについても同じですよね。
 そういう局面の当事者のときには
 見えなくなることがあります。
 ぼくも、ずっと人生のらせん階段をぐるぐる回ってきて、
 「ああ、そうか」と、いまごろ気づいたことです。
 それは、あっけないくらいの、ただのほんとのことです。
 「はずれくじは、ない」ということ。
 どれにしようか、どっちにしようかというような場合、
 たしかに希望したい「当たり」はあるんです。
 だけど、その「当たり」以外が、
 「はずれ」というわけでもないんだなぁ。
 これ、わりと、見えにくいし、忘れている事実です。
 
 大事な判断というと、すぐに「天国か地獄か」とか、
 「生か死か」「成功か失敗か」「プラスかマイナスか」
 なんて、一方が正解でそれでなければ最悪と
 考えやすいんだけど、それはちがうんですよ。
 「はずれ」だと思ってたものは、「ふつう」です。
 もっとくどくどと言えば、「当たり」だって怪しい。
 「当たり」を引いたおかげで、道を失うことだってある。
 わからなくても憶えておこう「はずれくじは、ない」と。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「はずれくじ」も、何枚か集めると当たりと交換になるよ。

170323今日のダーリン

とにかく、思っているより、人生ってすぐ終わっちゃいそうだなということ。
観たい映画を、死ぬまでにすべて観ることはきっとできないだろうし
読みたい本だけを読むとしたって、きっと全部読む時間はないだろう。
キライな人やどうでもいい人の顔を見る時間よりも
大好きな人や大切にしたい人の顔を見る時間をふやしたいし
ずっと着てみたかった洋服を着ることや
ずっとしてみたかった髪型にすること
ずっと行きたかった場所にいくことや
会いたい人に会いにいくこと
そんなことを、一生懸命、したいと思った。


(毎月一度の絶賛デトックス中、瞑想状態のいま)

 


・「人生は一度だけだ。やりたいことをやれ」と、
 よく人は言うものです。
 「人生は短いぞ。やりたいことをやっておけ」と、
 こういう言い方もよくあります。
 このへんの励ましだか説教だかというものって、
 だいたいは、ただ言ってるだけのことも多いと思います。
 でも、たまに、口で言ってるだけじゃなくて、
 心からほんとに、そういうふうに思ってる人もいます。
 
 命がひとつしかないということや、
 人生があんまり長いものじゃないということを、
 つくづく感じているときというのがあって、
 そういうときには、本気で、
 「やりたいことをやって生きよう」と、
 じぶんにも言い聞かせたくなるのです。
 おそらく、大事な人と別れることになるたびに、
 それを決意するようになるのだという気がします。
 
 多くの似たような他人と比べて、横ばかり見ている。
 じぶんはまちがってないのか、たしかめてばかりいる。
 人になにか言われそうなことは、しないようにしている。
 失敗の可能性のあることは、避けている。
 目立ってはいけないと感じて、静かにしている。
 空気を変えるのが怖くて、じっとがまんをしている。
 ‥‥そういうこと、だれでもがしていると思います。
 それは、とくに悪いことではないのでしょう。
 ただ、これから生きる時間に限りがあるとしたら、
 「やりたいことをやらない」でいるというのは、
 ものすごくもったいないことをしてると思いませんか。

 考え方としてはあることはあるのでしょうが、
 人間は何度もくりかえして生きたりはできません。
 そして、何世紀にもわたって生きることもありません。
 それほどたくさんの時間を配られちゃいないのです。
 わりと早めに死んじゃったりするのです。
 ぼくは、じぶんにそのことを言い聞かせます。
 そして、ぼくのともだちにも、そう伝えたいです。
 「やりたいことをやっておこうよ」と。
 やりたくてもやれなくなっちゃった人には、
 もうそれも言ってやれませんから。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
仕事のなかにやりたいことが見つかる人は、幸せ者ですね。

ひとまず、整理しよう(やらなきゃいけないことは、いったん横においといて)

やらなきゃいけないこと、が、溜まりにたまると

頭のなかがだんだんと、ぐちゃぐちゃになっていく。

ぐちゃぐちゃの頭でアイデアを出そうとしても

ノイズがたくさん混じってちっとも集中できない。

 

仕事じゃないかたちでのアウトプットをしていないから

インプットがどんどん増えて、山積みになって、苦しい。

もう、インスタもFBもお腹いっぱいで情報は入りません、というサインが出てる。

一度外に出してやると、「このことはもう安心して忘れられるよ」と、

頭のなかがひとつきれいになる。

 

べつに誰かのために書いている訳でもないのだから、

なにも遠慮する必要もあるまいに。

 

ひとまず今のこしておきたいものは

・カルテットのこと

・ララランドのこと

・3人のカメラマンさんのこと

・セカアカの岡戸さんのことと、これからの生き方のこと

・ぞうさんのこととケッコンのこと

 

なのだけど、リストアップしただけでちょっとズシッとなった。

でも、ひとつ外に出したからすこしだけ胸がすっきりする。

 

次は仕事のほうをリストアップしよう。

確定申告もあるし、今週もきっと忙しいや。

170302今日のダーリン

正しいことは、いちばん人を傷つけるのだと思う。

それが正しければ正しいほど、逆行するものは「間違っている」ことになり

間違っているほうは、逃げ場がなくなってしまうからだ。

自分に対しても、人に対しても、あえて、逃げ場をちょっと残しておくこと。

正しいかどうかよりも、誰も悪者にならない答えを見つけることのほうが

長い目で見ると、よい方向に向かうこともあるのではないかと。



なにか解決したい問題があるとき、
 その問題の中心に中心にと向かうのは、
 まちがった方法ではないのだろうと思う。
 おそらく、ぼくもそうしていることが多い。
 ただ、それは、問題に答えが出たときに、
 みんなが「よかったね」と言いあえるような場合だけだ。
 家の改築だとか、なにかの借金だとか旅行の計画だとか。
 そういうケースでは、中心の中心で、
 「いちばんいい方法は、これだ」ということが
 見つかれば、もうそれでいい。

 そうじゃなくて、複雑にからみあった問題だとか、
 人間関係そのものになにか問題があるときには、
 いちばん中心のところに解決を求めても、
 こじれていくばかりということがある。

 それが「正解」なのかもしれないけれど、
 人と人とが反発しあうようになったり、
 慰めようのないくらい悲しい目にあう人が出てきたり、
 だれもが、それぞれに孤立していったり、
 というようなことがあるものだ。
 話せばわかるというけれど、
 話してもわかっても幸せに近づかないこともある。
 
 どうなればいいのか、の、いちばん納得のいく答えは、
 みんなが幸せになればいいということのはずで、
 逆にみんなが不幸になるような「正解」は、
 選ばないほうがいいのだと思える。

 ぼくが思うのは、正解かどうかはともかく、
 できるだけ多くの人を不幸にしないことだとか、
 できるだけ多くの人を幸せにすることだとか、
 そして忘れちゃいけない、
 「わたし」を不幸にしないということだとかを、
 よくよく考えて、そっちの方に歩みだすことだ。
 
 妥協とか、いい加減とか言われるかもしれないし、
 そんなことでいいのか、とじぶんでも思うかもしれない。
 それでも、「わたしを不幸にしない」を忘れちゃだめだ。
 いちばん近くの、生きるべきいのちは、そこにある。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いちごのジャムを、ひさしぶりにじぶんでつくっています。

編集者という生き方

今日のセカアカ、先生は雑誌「ONKUL」編集長の安達薫さん✨✨

FUDGEから派生した雑誌で、コンセプトは「おじさん」「ハンサム」「ユニセックス」「ベーシック」。

雑誌にはめずらしくざらざらしたマットな紙に、ほとんどスミ文字だけでシンプルに組んでいる。

三栄書房が出版してる雑誌のエディトリアルデザインは、どれも余白がきれいでとても好きなのだ。よく参考にしてる媒体のひとつなのでうれしい。

 

たくさんあそんで、色んな人に会い、好きなものにフォーカスして、読者に共有していくっていう、自分の感覚を信頼していく生き方がとてもすてきだった。

編集ってなんですか?という問いに対しての答えが

なにか気にかかることをいつも考えて心に留めておくと、自然にそれに関する情報が集まってくる。だった。

こういう答えかたが、すごく編集者っぽいなっていうか、理屈じゃなくてもう、感覚というかライフワークに近いんだなって感動した。

あと、大前提が「好き」で、「楽しい」って思いながら作ることがほんとうに大切なんだっておっしゃってた。それは、すごく分かる気がする!ばんばん!

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今回はBクラスで聴講させてもらって、さいご飲み会まで参加させてもらった。

通ってる人がほんとみんな魅力的。あこがれの活版印刷のワークショップをやってる方や、サブカルチャーにくわしいお坊さん、台湾が好きすぎる方などお知り合いになれて嬉しかったです。

 

あ、あともうひとつ今日安達さんの話ききながら感じたこと。

常に、自分がつくった媒体を持ち歩いて、だれと会っても大丈夫なように準備していること。可視化したものをいつも持っておくことの大切さ。それも意識するかどうかのことなんだと思う。わたしはまだ、伝えたいという意識が甘いなぁと思った。